傀儡

0.呼吸

 凪のお暇という漫画の1話目で、主人公凪が過呼吸になり「空気は読むものじゃなくて吸って吐くものだ」と悟るシーンがある。本当にその通りだと思った。

今まで空気が吸えなくなる瞬間っていうのは度々起こって、初めて経験したのは中学生の頃だったと思う。それから大学1回生の時に再発し、職場は毎年転職を繰り返して、昨年職場での発作で退職、今はパニック障害鬱病の併発で治療をしている。きっともっと前から分かっていた。周りの人も、たぶんきっと知っていた。もっと早くちゃんと病気だと言ってくれたら、この生きづらさの原因も名前が付いて私は割り切れて生きていけたんじゃないかと思う。自傷行為を繰り返す人間が、笑いながら泣きながら過呼吸になる人間が、普通じゃないって、どうして誰も気づいてくれなかったの。どうして「大丈夫だよね」「いつものように笑顔のしほちゃんに戻って」って言ったの?誰も私を病院に連れて行ってはくれなかった。誰もが私を私で在るように仕向けた。

私の人生なんだったんだろう。私はこれからどうやって生きたらいいんだろう。薬を飲んでも病名が付いても何も変わらない。生きれば生きるほど辛い。今まで生きてて良かったと思えることなんて何もなくって、あの時死んどけば良かったという負の感情がグルグル私にまとわりつく。生きるのが下手くそすぎて、私がした決断や判断は全て私を苦しめて、どんどん人生がハードモードになっていく。落ちていくのがちゃんと理解できて、それもまた苦しい。早くお金を貯めてスイスで安楽死したい。

 

1. 他者評価

   今のバイト先に「私基本的に病まないんで!」と笑顔でのたまう女子大生が在籍している。真偽は別として、その気の強そうな性格の彼女からは「病まない」という性質は確かに垣間見える。私が彼女と同じ歳の頃、母親を拒絶し、人の信頼を損ない、絶縁していた父親と久しぶりに会って閉じ込めたはずの記憶がフラッシュバックし、基本的に病んでいた。ただ彼女と私は別物としても、私も学生時代のバイト先では同じように「基本的に病まないんで!」と言っていたように思う。普通でありたかったから。その女学生のことは心底どうでもよくて、たぶん私はもう誰かのことをあまり信用していないし、特段仲良くしたいとも思わない。私は産まれた時からずっと誰かに裏切られた記憶しかなくて、そんな私も誰かを裏切った記憶を持って生きている。私がいい子じゃなくなったら、みんな私から離れていった。親すらも私から離れていった。見捨てられたと当時は思った。でも結果だけを見ると、私が至らなかったせいだ。努力が足りず、自制が足りず、ただ目の前の簡単に手の届きそうな誘惑に負けてきたのだ。ずっと誰かのせいにしたかったけど、たぶん全ての元凶は自分で、私が悪いし、本当に生きてる意味なんてないと思う。誰かに愛されたいという一心でずっとずっと生きてきた。自分の愛し方を分からない私に、そんな日は来ないと思う。

 

2.いきづまり

 自己肯定感が低いのに他者評価を気にしすぎて、常に100点でないと自分が価値のない人間のように思われて仕方がない。全員に好かれるような人間なんていないと分かってはいるけれど「何をしてでも皆に認められないと」という意識がどこかで私を責め立てるから、ちょっとした空気感のズレや気持ちの汲み取りの違和感で精神が疲労してしまう。ただの八方美人なんだと思うけれど。

 小学生の頃から成績表の結果は人一倍気にしていたと思う。理由は一つ、親からの自分への評価が変わるから。成績の○が良いに1つでも多くあれば何も変わらないし、良いの○が減れば幻滅した顔をされる。私はそれがたぶんずっと怖かった。人より成績は良い方だったし、いわゆる優等生として生きてきた。優等生として連想されるものはいつだって親からの期待で成し遂げてきたと思う。私が優等生の道化であることが、機能不全家族にもたらす唯一の潤滑油だと信じていたから。

私はずっとずっと死にたかった。小学生の頃から綴りつづけた日記はノート何冊分もあって、それは暗く惨めな私のヒストリーを物語っている。ノートに書くことを辞めたのは大学生になってから。1回生の時家に転がり込んで居座り続けた害悪に見られるのが嫌だったから。分かったフリして傷口を抉ってくる無神経さは、田舎から出てきた世間知らずの私を苦しめ、それは1年間続いた。その頃私は文書を書くことが出来なかった。知られてしまうことの恐怖と、理解したフリをされる嫌悪感の上書きをするように、害悪が消えた後、私はネットへ通じるこの媒体に文書を綴り始めた。誰に見られてもいいようにTwitterにリンクを貼り付けた。私は誰も信じていないし、周りの人は自分が思う程私を理解するために、これを読むわけではないと知っているから。この頃には倫理観は既にもうバグっていて、自分の気持ちを閉じ込め過ぎたせいで、人の気持ちが分からなくなっていた。きっと色んな人を傷つけたし、今も何が普通なのか分からず傷つけているのだと思う。理解できない、信じられない、ヤバいは確かにその通りで、私はそういう人間だったのだと知る。何十年と文書を日記の如くツラツラと書き続けても、私から産み出される言葉は全て暗く惨めなものだった。救いはない。

 

3. 遺品整理

   誰かにこんな話をすると「生きていればいいことあるよ」とか「これから今での分、幸せになればいい」とか昔はよく言われたけれど、あれから何年経っても私はずっと死にたい気持ちが消えない。過去には戻れないと知ってしまった私には、もう何も残っていない。幸せはきっと自分が感じ取るもので、他者から与えられるものではないのだと思う。私の根底にある絶望や喪失感、罪悪感等々が、匂いや音・感触になって現れて「だったら、どうしてあの頃もっと受け取ることが出来なかったのだろう」と、自分が壊してきた日々を思い出させる。

ふと思い返すと、今の私と同じ病気を持った母親と2人で暮らしていた頃、私は母親を元気づけようと「生きていればいいことあるよ」とか「これから今での分、2人で幸せになろうよ」とそんな無責任な言葉を投げかけていた。弱っている受け取り手にとって、何気ない言葉の投げかけはデッドボールになる。私は母親の期待を重く感じていた節はあるけれど、母親を縛り付けていたのは私自身だったのではないかと最近よく思う。だから、母親は私以外の人へ寄りかかることを決めたのだ。見捨てられたと思っていたのは、私からの解放だったのではないか。なぜなら、母親がずっと私のために生きてくれていたことを知っているから。だから、私は母親をこれ以上不幸にしない為に死なないで生きている。