顔がない

0. 音もない

 夜にふっと目が覚める。覚めてからここがどこか分からなくて一瞬パニックになりそうになる。それは、久しぶりに会う知人に対してどんな態度で接していたのか思案するかのような感覚だ。私は再度私に対して自分の設定を教えてあげないといけない。記憶を幾つか改竄した。生きるためにそれは必要だった。だけど、弊害もあって私は私が誰なのかもう分からなくなってしまった。鏡の前で泣いている女がいて、呼吸は確かに苦しくて、恐らくそれはわたしなんだろうけど、私は本当にそれが自分自身なのか分からない。鏡の前の女が何故泣いているのか、過呼吸気味になって笑っているのか泣いているのか分からない表情で何かを訴えてくる。私が彼女に手を伸ばすと、鏡の中の彼女もまた私に手を伸ばす。「大丈夫」と私が言うと、「大丈夫」と彼女も応える。「私が助けてあげる」と言うと、彼女は笑った。

 

1. 滲む紙のような

 私という人間はきっと使い捨てられる運命なのだと思う。それは他者から見た私という話しでだ。他人がいくら私を使い捨てようと構わないけど、私は私を見捨てずに今まで生かしてきた。それだけが私が私に誇れることだと思う。自己評価が低くて他者への承認欲求の強いアダルトチルドレンはいいように使用されやすい。私はちゃんとそのことを理解していて、でももう他人に何か言われてもされても何も感じなくなってしまった。誰にも期待してない。いらない子と言われ育てられ、期待に応えられなければ冷たい目を向けられる幼少期を過ごしてきたお陰で、私は責任の所在の矢印は自分軸に置き換えて考える癖が付いてしまった。傷つけられることも、傷ついたことも全て私が悪い。「早く、早く」と頭の中で声がする。随分前から知っていたけど、私は幸せにはなれないと思う。私はこの生き方を辞めれないから。早く私が気づかないうちに私が私を見捨ててくれることを望む。

 

2. バトンタッチ

 最近バトンタッチした子はよくやってくれていると思う。メンタルも強くて習慣が好きだから日常が整っている。私は私を最適化していきたい。壊れたら作り直してまた再生させればいい。私が求める私でいてよ。誰にも触れられないような私でいてほしい。私に何かを求める他人は私が泣いたり壊れたりするとそっとその場を離れてしまうけど、私は私が泣いても壊れてもちゃんと抱きしめてあげられる。私以外に私を愛してあげられる人なんていないから。他人は都合のいいときに私を都合のいいように使うし、それはそれで構わないけど、私は私にそんなことはしない。私はされたことも言われたことも絶対に忘れないから。ただ、バトンタッチして動いてくれるこの子たちが、そのことに触れることなく笑って過ごしてくれればそれでいい。傷ついたことも苦しかったことも私が全部受け止めて抱えるから。もし、私が抱えきれなくなって溢れ出したときは鏡の中から手を伸ばすから、その時だけはその手に触れて「助けてあげる」と笑いかけてほしい。

何を身に傾けるのか

0. 心因性疼痛

 私の左腕には幾つかの傷跡がある。体温が上がったりアルコールを摂取すると、その古傷は赤く変色する。理論的に言えば、体温が上がることで血流が良くなって、皮膚の薄い部分の毛細血管が拡張されるからだ。でも私にとってそれは、夜のネオン街のように退廃的な光に見えた。知らない街の知らない空気の知らない思い出のネオン街で私はほろ酔いで歩いている。そんな情景を思い浮かべてながら、私は傷跡と2人でアルコールを摂取する。誰にも理解されない私の論理や考えは、この傷跡へと消化されている。15年ほど前から私は自傷行為を初めて、それは同じ年数分、人から隠さないといけなかったものを抱えているということ。脆い、とても脆い存在だ。それだからこそ、それ以上に愛しい存在だ。だってこれは私の全てだから。私という本体に外的ストレスがかかった際に、消化の標的になるのは、この左腕。だからだと思うけれど、数年前から何かストレスやショックな出来事があると左腕全体が麻痺する感覚に襲われる。感覚が無くなると言った方が正しいだろうか。それは私が行ってきた自傷前の感覚とほぼ同じで、この左腕はちゃんとそれを自覚していて、その身を私に差し出そうとしているかのように思える。私の身体は数年前から私の本体に期待をするのは辞めてしまったのだと気づく。傷つけられることを待っている悲しきこの傷に、私は愛着を感じている。私を絶対に見捨てない存在。ただ、それはやはり私自身でもある。いつか傷を付ける自分と、傷付けられたことを当たり前と思わなければならなかった自分が、一貫性を持って私として生きてくれる日が来るのだろうか。

 

1.パペット

 人の真似をして生きると、案外私も人間社会で上手く生きていけると気づいてから数年。幾つかのモデルケースやサンプルのお陰で、私は昔よりも人から大事にされることが増えてきたように思う。そっか、こんな感じでいいんだ。っていう感覚を頼りに私は私を作り出す作業を怠らない。私が私で在ろうとする時、周りの人は私を排除しようとした。理解できないものには蓋をするらしい。私も私や周りの人が理解できないけれど、私は私自身や周りの人を簡単に蓋をしたりはしない。でも、それは何だろう、たぶん我儘なことらしい。「私が頑張ることを辞めれば、いい子じゃなくなったら、笑わなくなれば、みんな私から離れていく」と、外から帰ってきた私が言っていた。そうだろうとも思うし、そりゃないぜ、とも思う。外から帰ってきた私は床に蹲って何かうめいている。生きづらいらしい。私は私に向かって、ここが1番安全だと教えてあげる。でも心の中で、この子はもう終わるなとも同時に考えていて、次はどんなモデルを参考にして社会に迎合するべきか対策を練らなければならないと思う。脆くなったら壊して、また作り直せば良い。それは成長の過程に生じる神経痛のようなものだと、周りには信じ込ませれば良い。そうすれば「明るい志帆ちゃんが戻ってきて良かった」と言われるから。その頃にはもう、あの時笑っていたその私は死んでしまっているのだけれど。 パペットや人形でいた方が円滑に回ることばかりで、周りもどうせ期待に嵌まる枠しか求めていない。

 

2.さよならだけが人生だ

 私は10代後半から20代前半にかけて、とてつもなく恨んでいたことがあった。それは1つの事柄ではなく、複合的に入り組んだ産物だけれど、最終的にはそこに帰結してしまう問題で、端的に言えば家族のことだった。今さら昔の記憶に対して、何か議論や分析をする気は殊更もない。もういいんだ、全部。言われたことも、されたことも、忘れない。忘れることはできないけれど、いつまでもそこに固執していては、私は今を生きられない。恨み続けた時期は確かにあって、でもその時期の私の人生としての記憶はとても薄くなってしまっていた。過去にしか目線を向けていなかったから、私はあの頃の記憶がない。観た映画や読んだ本も内容がほとんど残っていなくて、私は私を生きていなかった。実の兄が言っていた「親を恨んでいいのは30歳までで、そこからは自己責任」という言葉がとてもしっくりくる。きっと、あったと思うの、私にも、幸せだった記憶が。でもあの頃の私は悲しいことに、その記憶をどこかのドブに捨ててしまって、今はまだ探し物の途中という感じ。記憶って、自分自身のでさえ、簡単に改竄できる。私はちゃんと気づいていた。認めたくなかったのは、きっと、辛かったあの頃に対して感謝されたかったから。ありがとうって、頑張ったねって言って欲しかった。でも、もういいんだ。私は案外今の私を気に入っていて、それは紛れもなく私を私にしてくれた過去のあなた達がいたから。ケアを受けなければ胎児は生きていけないなら、私はちゃんとケアを受けて生きてきたということだから。だから、ありがとう。

 

 

夢の話です

0.夢は映画のワンシーン

朝、目が覚めて割りとしっかりした頭で夢の内容を細分化して夢占いで調べた。起きた時に夢の内容を覚えている時は、私はよくネット情報による夢占いをする。昔から心理学とか深層心理とかそういった類いの物に興味があって、幼少期には分厚い占い本を持っていて何度も何度も読み返していた記憶がある。(心理学は占いとは違うと、高校時代に進路相談をした先生に言われたけど、学問としての心理学が占いの類いとは違うことなんて17歳の私はちゃんと理解していた。)今日の夢に名前を付けるなら、そうすることで特別になるなら、「Merry Christmas Mr.Lawrence」。この夢には一切、坂本龍一もビートたけしもデヴィッド・ボウイも関係ない。だけれども、目覚めた時の気分は「戦場のメリークリスマス」を見終わった後の、坂本龍一のあの曲を流しても差し支えないような、何だかもの悲しいけれどすっきりとした気持ちだった。永遠の別れとケジメ。まさに「Merry Christmas Mr.Lawrence」だ。そういえば、数ヶ月前に大学時代の母校の先生から「2023年に大島渚作品が国立機関に収蔵される予定のため、3月31日が最後の大規模ロードショーになる」と連絡が入っていた。映画館でぜひ観てとのこと。今になると観に行けば良かったと思う。昔の映画を映画館で観る機会なんて、大学時代にTSUTAYAでDVDを借りて家で観ていた私には縁の無かった話だから。先生は今でもたまに映画の宣伝をLINEで送ってくれる。大抵が復刻上映のもので、先日「ユリイカ」の宣伝を送ってきた時には、「これはさすがに…」という気持ちだった。3時間越えの作品を映画館で座って観続ける気合いが今の私にあるのかが問われる。もう大学を卒業して4年も経ったのだ。劇団四季の2時間半の作品でさえ、間に小休憩が入っても、お尻が爆発しそうなくらい痛くなるのに。でも家で観るのをもっと不可能だろう。たぶん開始30分も経たずに寝てしまうか携帯へ意識を集中させていると思う。大学時代は、家で映画を観る時に、隣で携帯を触られるとイライラした。映画中に携帯を触るなんてマナー違反だと思ったし、内容なんて何も残っていないのだろうと邪推していた。でもそんな人が上手に映画のレビューを書いていると、真面目に生きている自分が馬鹿らしくてもっとイライラした。だって、何かの作品を観ても読んでも何も頭に浮かばない。感想を言語化することが出来なくて、ほやっとした感情が自分を纏っているだけなのだ。そのことに何の疑問も持たなければ良かったのに、難しく考えすぎてもっと分からない。その時に感じた興奮や感情を上手に言葉へ乗せれる人が羨ましい。先生から未だに連絡が入ることを嬉しく思う反面、先生の紹介してくれる映画を全然観れていないことを心苦しく思う。出来るだけ丁寧に返信した内容は、表面上を取り繕った抽象的なもので、締めの言葉は「タイミングが合えば観に行きます」。例えるなら何も理解してないのに、どこかから齧った言葉を自分のモノにする前に発言している、中身のない薄っぺらなタレントコメンテーターみたいだ。(そんな政治の話をアスリート上がりのタレントに振るなよ、絶対分かってないし質問と答えが平行線になってるぞ、と思うし、お前もそのコメンテーター席に座る前にちゃんと予習して勉強して来いよとも思う。パンダの話にしか乗れないコメンテーターなんて要らないの。街頭インタビューで十分なの。)もやもやした思いが残るから、次に紹介された映画はちゃんと観にいこうと思う。

 

1.お片付け

私は誰かに自分を分析して欲しい。もっと言うなれば、比喩的な意味で、解剖して欲しい。私を一旦細切れにして、ちゃんと細分化して、丁寧に整理整頓し直して欲しい。本棚の本を背丈順に並べるとか、あいうえお順に並べるとか、ちゃんと何らかの規則に従って綺麗にして欲しい。要らない物は捨てて、使うかもしれないものは箱に入れて奥に閉まって、よく使うものだけ取り出しやすいように手前へ並べて、効率の良い私にして欲しい。片付けの途中でやり忘れていた夏休みの宿題が出てきて、今日が8月31日だったことに気づくの。本当にまるっと新品のドリルが1冊。国語ドリルなら1日あれば大丈夫だけど、算数ドリルならちょっと徹夜になるなとか考えてしまう。1ヶ月少しの期間で奥に追いやられてしまったドリル。現実のやり残した問題は、もっともっと年月を肥やしにして、きっと私の奥深くで今も気掛かりになって残っている。って夢占いで言ってた。

 

2.冬の朝、大きなサングラスと飛行機

恋人が結婚すると言ってきた。私とじゃない違う誰かとだ。私はちゃんとしっかりショックと悲しみを感じながらも、それを了承した。その翌日に恋人は左手の薬指に婚約指輪と結婚指輪をダブル重ね付けしていた。とてもダサいなと思いながら、その浮かれぽんちな彼が一層憎たらしくて、彼の指には少し大きめの指輪をスポスポと薬指に抜いたり入れたりした。結婚を決意した彼は何だか別人のようで、裕福で盲目の老外人のような柔和な笑みを浮かべて、来るべきその日を待ち望んでいるように見えた。ずっと何年も一緒にいたのに、そんな最近出会った人とすぐに結婚を決めてしまうなんて、自分が惨めで仕方なかったし、私は結婚に値する人間じゃなかったんだなと思った。彼にその思いを伝えて「私のどこが悪かったのか」と聞くと「人民主義なところ」と言われた。(夢の中でこのワードが出てきたとこにビックリ。目覚めて初めて単語の意味を調べて知った。そんなわけない。)人民主義がどんなことか、それが私の人格をどう位置付けるのか分からなかったので、「どういうこと?」と聞くと「頑張りすぎなところ」と答えが返ってきた。私はそっか、と言って部屋の片付けに戻った。中学時代に工作の授業で作った棚があった。その棚は設計ミスがあったものの(棚の端である側板に角度を付けていたのだが、手前と奥の向きを左右逆に取り付けてしまっていた)、先生から「逆に芸術性がある」とお墨付きを貰い、成績も1番評価の高いものだった。思い返せばきっと、優等生バイアスと言うか、私は学生時代、先生達から贔屓されていたのだと思う。その棚に前職で(夢の中で)盗んできた(体になっている)シェーバーを並べて乗せた。学生時代に優等生で神童と呼ばれた生徒が大人になって、堕落した生活を送っているなんてよく聞く話だ。その棚はちゃんとそれを現すモニュメントとして機能している。人格や将来を形成する学生時代という器もとい棚へ収められる現在の姿は、盗んできたシェーバー(笑)しかもそのシェーバーは、何世代か昔の壊れた代物というオチ付きだ。こうやって自虐的にしか今の私を捉えることが出来ないのが1番の問題なんだろうな。そんな棚を見つめながら、「なんだ、頑張って真面目に生きなくたって良かったんじゃないか」と「頑張りすぎ」と言われた私はポツリと心の中で呟いた。あの頃勉強ばっかりせずに、友達と遊んだり趣味を見つけたり、そんなことをしても良かったんじゃないか。だって結局何にも残ってない。地元に今でも会える友達は1人もいなくて、あんなに頑張ってた勉強の内容も、記憶力の低下によってどんどん私から離れていく。最近CMで聞いた「楽市楽座」なんて、どんな条例かもう全然分からない。現役時代は確実に正解できる問題として提示されたものであったはずなのに。私を置き去りにして、記憶は私からすり落ちていって、新しいものを入れようともせず、不可逆な時間の流れを過去の方を向いて睨みつけているだけ。夢から覚めて調べた人民主義だって、解放を目指しながらも頓挫して結局はテロに帰結してしまった。お告げのようで怖い。来るべきその日、大きな黒いサングラスをかけた恋人は、冬の朝に雪が振りしきる空の下、金髪マダムのパートナーを連れて飛行機で飛び立ってしまった。「Merry Christmas Mr.Lawrence」別れの言葉だ。

傀儡

0.呼吸

 凪のお暇という漫画の1話目で、主人公凪が過呼吸になり「空気は読むものじゃなくて吸って吐くものだ」と悟るシーンがある。本当にその通りだと思った。

今まで空気が吸えなくなる瞬間っていうのは度々起こって、初めて経験したのは中学生の頃だったと思う。それから大学1回生の時に再発し、職場は毎年転職を繰り返して、昨年職場での発作で退職、今はパニック障害と鬱病の併発で治療をしている。きっともっと前から分かっていた。周りの人も、たぶんきっと知っていた。もっと早くちゃんと病気だと言ってくれたら、この生きづらさの原因も名前が付いて私は割り切れて生きていけたんじゃないかと思う。自傷行為を繰り返す人間が、笑いながら泣きながら過呼吸になる人間が、普通じゃないって、どうして誰も気づいてくれなかったの。どうして「大丈夫だよね」「いつものように笑顔のしほちゃんに戻って」って言ったの?誰も私を病院に連れて行ってはくれなかった。誰もが私を私で在るように仕向けた。

私の人生なんだったんだろう。私はこれからどうやって生きたらいいんだろう。薬を飲んでも病名が付いても何も変わらない。生きれば生きるほど辛い。今まで生きてて良かったと思えることなんて何もなくって、あの時死んどけば良かったという負の感情がグルグル私にまとわりつく。生きるのが下手くそすぎて、私がした決断や判断は全て私を苦しめて、どんどん人生がハードモードになっていく。落ちていくのがちゃんと理解できて、それもまた苦しい。早くお金を貯めてスイスで安楽死したい。

 

1. 他者評価

   今のバイト先に「私基本的に病まないんで!」と笑顔でのたまう女子大生が在籍している。真偽は別として、その気の強そうな性格の彼女からは「病まない」という性質は確かに垣間見える。私が彼女と同じ歳の頃、母親を拒絶し、人の信頼を損ない、絶縁していた父親と久しぶりに会って閉じ込めたはずの記憶がフラッシュバックし、基本的に病んでいた。ただ彼女と私は別物としても、私も学生時代のバイト先では同じように「基本的に病まないんで!」と言っていたように思う。普通でありたかったから。その女学生のことは心底どうでもよくて、たぶん私はもう誰かのことをあまり信用していないし、特段仲良くしたいとも思わない。私は産まれた時からずっと誰かに裏切られた記憶しかなくて、そんな私も誰かを裏切った記憶を持って生きている。私がいい子じゃなくなったら、みんな私から離れていった。親すらも私から離れていった。見捨てられたと当時は思った。でも結果だけを見ると、私が至らなかったせいだ。努力が足りず、自制が足りず、ただ目の前の簡単に手の届きそうな誘惑に負けてきたのだ。ずっと誰かのせいにしたかったけど、たぶん全ての元凶は自分で、私が悪いし、本当に生きてる意味なんてないと思う。誰かに愛されたいという一心でずっとずっと生きてきた。自分の愛し方を分からない私に、そんな日は来ないと思う。

 

2.いきづまり

 自己肯定感が低いのに他者評価を気にしすぎて、常に100点でないと自分が価値のない人間のように思われて仕方がない。全員に好かれるような人間なんていないと分かってはいるけれど「何をしてでも皆に認められないと」という意識がどこかで私を責め立てるから、ちょっとした空気感のズレや気持ちの汲み取りの違和感で精神が疲労してしまう。ただの八方美人なんだと思うけれど。

 小学生の頃から成績表の結果は人一倍気にしていたと思う。理由は一つ、親からの自分への評価が変わるから。成績の○が良いに1つでも多くあれば何も変わらないし、良いの○が減れば幻滅した顔をされる。私はそれがたぶんずっと怖かった。人より成績は良い方だったし、いわゆる優等生として生きてきた。優等生として連想されるものはいつだって親からの期待で成し遂げてきたと思う。私が優等生の道化であることが、機能不全家族にもたらす唯一の潤滑油だと信じていたから。

私はずっとずっと死にたかった。小学生の頃から綴りつづけた日記はノート何冊分もあって、それは暗く惨めな私のヒストリーを物語っている。ノートに書くことを辞めたのは大学生になってから。1回生の時家に転がり込んで居座り続けた害悪に見られるのが嫌だったから。分かったフリして傷口を抉ってくる無神経さは、田舎から出てきた世間知らずの私を苦しめ、それは1年間続いた。その頃私は文書を書くことが出来なかった。知られてしまうことの恐怖と、理解したフリをされる嫌悪感の上書きをするように、害悪が消えた後、私はネットへ通じるこの媒体に文書を綴り始めた。誰に見られてもいいようにTwitterにリンクを貼り付けた。私は誰も信じていないし、周りの人は自分が思う程私を理解するために、これを読むわけではないと知っているから。この頃には倫理観は既にもうバグっていて、自分の気持ちを閉じ込め過ぎたせいで、人の気持ちが分からなくなっていた。きっと色んな人を傷つけたし、今も何が普通なのか分からず傷つけているのだと思う。理解できない、信じられない、ヤバいは確かにその通りで、私はそういう人間だったのだと知る。何十年と文書を日記の如くツラツラと書き続けても、私から産み出される言葉は全て暗く惨めなものだった。救いはない。

 

3. 遺品整理

   誰かにこんな話をすると「生きていればいいことあるよ」とか「これから今での分、幸せになればいい」とか昔はよく言われたけれど、あれから何年経っても私はずっと死にたい気持ちが消えない。過去には戻れないと知ってしまった私には、もう何も残っていない。幸せはきっと自分が感じ取るもので、他者から与えられるものではないのだと思う。私の根底にある絶望や喪失感、罪悪感等々が、匂いや音・感触になって現れて「だったら、どうしてあの頃もっと受け取ることが出来なかったのだろう」と、自分が壊してきた日々を思い出させる。

ふと思い返すと、今の私と同じ病気を持った母親と2人で暮らしていた頃、私は母親を元気づけようと「生きていればいいことあるよ」とか「これから今での分、2人で幸せになろうよ」とそんな無責任な言葉を投げかけていた。弱っている受け取り手にとって、何気ない言葉の投げかけはデッドボールになる。私は母親の期待を重く感じていた節はあるけれど、母親を縛り付けていたのは私自身だったのではないかと最近よく思う。だから、母親は私以外の人へ寄りかかることを決めたのだ。見捨てられたと思っていたのは、私からの解放だったのではないか。なぜなら、母親がずっと私のために生きてくれていたことを知っているから。だから、私は母親をこれ以上不幸にしない為に死なないで生きている。

 

過去

0. 頭

思い出は全て過去形で、過ぎ去ったすべてが文字通り過去形だ。過去の中にこそ私の全てがあるのに、それを引きずり囚われてしまうことは賞賛されることではない。現在進行形の言葉に真実など無くて、すべては結果からしか物事を捉えることなどできない。今感じた気持ちも温度も言葉もぜんぶ、空気に触れた瞬間に酸化が始まり、過去になる。薄れてゆく記憶と更新されていく日常。この数年の間に取り出して眺めたい記憶などなくて、ずっと私はあの頃から動けないままなのかもしれない。「幸せな今」を言葉にするのは簡単でも、「幸せにしてあげたかったあの頃」を見殺しにしてまで浸ることが出来るほど私は私を許すことができない。

何もかもがフィルター1枚かかったように、ぼやけている。いつからかは覚えていない。そのフィルターを剥がせば、私も向こう側にいけるのだろうか。もう一度会いたい人や、やり直したいことを取り戻すことができるのだろうか。ふとした瞬間に壊れる精神を抱えて、普通を演じて息をする。狂人のままでいられた方が、私にとっては楽だったかもしれない。「普通の今」を手に入れた私が「普通になりたかったあの頃」を何度も何度も繰り返して思い出して、風化しないように何度も何度も思い出して、大切にしているのだ。滑稽な話だと思う。

 

1.傷の砂上

あの頃私を私で在ると証明してくれた、過去の思い出や傷跡は、社会に出て年齢を重ねていくごとに、割と普遍的に存在する事象の1つでしかなかった。私は特別になりたかったのだろうか?特別とまではいかなくても、日々に埋没することのない繊細な存在として扱って欲しかったのかもしれない。風化させることのないように、治ることのないように、重ねて付けた傷は何の意味も持たないのに。泣くほど私を憐れんでくれたり、抱きしめてくれた成功体験によって私は私を傷つけることでしか、相手に自分の存在価値を見出せなかったのだと思う。誰よりも不幸になりたかった。それも今の自分のままで。私がそれを実現するためにしたことは、真実の隙間に嘘を混ぜ込ませて話すこと。正確には嘘の中に僅かな真実が含まれているということ。私は私を演じるうちに、自分の周りを嘘で固めた。でもきっと、みんな気づいてたよね。だからあの頃に出会った人達とは関係が続くことがなかった。若かったといえばその通りで、でもそんなことをしなくても仲間に囲まれて楽しく生きている人はもちろんいて、私はそのことをちゃんと知っていて、だから毎日とても苦しかった。

 

2. 26

誰からも祝われることのない誕生日を数年経験して、私はようやく自分の誕生日周辺にプレゼントや祝いの言葉が集まるまでに復帰した。不幸を取り繕ったとして、幸せになれるわけではなかったのだ。私が自分以上に人を大切にしない限り、相手も私を大切にすることはできない。小学生まではそんなことちゃんと理解出来ていたはずなのに、どこで狂ってしまったのだろうか。私は過去に戻れるとずっと信じていた。馬鹿だと思われるだろうけど、それは明日が来るのと同じ感覚で私の中にずっと居座り続けた。時間は不可逆だと言われても、私は何度もやり直せるとやり直せるんだと自分に言い聞かせた。目を塞ぎたくなる挫折や裏切りで、自己防衛本能から生まれたその気持ちは、私に今を生きることを許そうとはしなかった。今に埋没して生きていくなら、日常を受け入れてしまっては、今まで抗い続けた結果失った全てが自分をきっと許さないだろうと。今までの自分を否定することになると。でも過去になんて戻れなかった。何度寝ても来るのは明日ばかりで、意識をぼやけさせて日常をスクリーン上で見ているかのような他人事に据え変えたとしても、私は今の私を生きるしかない。

 

3. 鏡

「ずっとここにいたかった」と昔の私が私を見て言う。私は彼女を何度も殺した。多重人格なんてものではないけど、私は何人かの私を自分の中に住まわせている。それはきっと他の人も同じだと思う。私が人と違うのは、その別の私を時々取り出して対話をすることだ。必要なものは鏡だけ。鏡を通して見る私の目の奥に私を見る私がいる。肉眼では見えないけど、その目の奥にもきっと私を見る私がいる。鏡を見ているのか、見られているのかどちらか分からない。封じ込めてきた私自身がミルフィーユ状に積み重なって幾人かの私になっている。早く今の私もリセットして、鏡の向かう側へ連れて行ってほしい。

私は間違ったのだ。はっきりとそう自覚できる。

summer end

1.

体の節々に痛みを感じる。そこあるのは生への息苦しさ。面白いことなんて一切言えない私は、誰かの言葉をなぞってそれを発話していく。嘘で円滑に上手くいくことばっかりで、本当の話なんてこの世界では全く必要とされない。台本があって、それを話せば終わるようなそんな世界なら私は私自身に責任を持つことなんてしなくて済むのにな。上手くいかないこともある。それがストレスになる。そしてそのストレスを日々に落とし込んで、ただ続いていく毎日で他の対象に意識をしなければ人間は保たなくなってしまう。全てを塗り潰す。嫌いな出来事を反対の出来事の色で塗り潰す。そうやって生きていく。何も思い出さないように。自分を守るために。文字に出来ることだけが私にとって真実の言葉。この世界のスピードはあまりにも早くて、話す言葉は流されていくなら、それはもう私のものではない。嘘でいい。

 

2.

完璧とは脆さと隣り合わせ。綺麗なものほど、ひびが入れば一瞬で崩れ落ちる。もう子供じゃない。綺麗なままではいられない。汚れてしまったことに後悔なんてない。使い続けると朽ちていくのは人間も同じ。早く私は私を消費して消えて落ちてしまいたい。昔より落ち込む頻度が減っていって、それは即ち私と世界とのスピードが調和していっているということ。立ち止まっていても、自分のペースで歩き出すことを許さない世界に、私は自分の我儘を辞めた。私は意外に上手くやれてるんじゃないか、と自分を慰める。皮肉なもんで、それは社会に迎合することを足掻いていた私を否定する行為。それならもっと早く分かっていたなら、と思わずにはいられない。今の不幸は全て自分の行いで決まる。何かを認めるたびに、それをしなかった自分を否定する。誰もがすんなりと社会に迎合できるわけではない。それを子供の我儘だと言うだろうか。抗うものを世界は否定する。私はその世界に合わせたフリをしながら、ちゃんと俯瞰して世界を否定できるだろうか。

日々から解き放たれて1人になると、いつも考えてしまう。これが私の本当の意識なのだろうか。図書室で読みたい本を選ぶような純粋な世界への興味は、今の私にとっては不安しかない。与えられたものを摂取する方が、そこに対人関係が生まれ認められると思ってしまうんだろう。回避能力だけが人一倍傲慢に育ってしまった。私は私の奥を知っている。どこまで落ち込んで、落ち続けしまうのか、そして這い上がり同じ明日を迎える為に、どれだけの時間と余力が必要なのか。茶番のような鬱になっては、明日ケロッとした顔で日々に接する。

人を人だと思ってはいけない職種で、私は横たわる物体を日々眺める。嘘と笑顔で塗り固められた空間に身を寄せる。人間の7割は水で、私はその水袋達に手を施す。ぷかぷかと揺れるそれらに合わせて、私は笑いながら嘘を吐く。我にかえるといけないから、出来るだけ物体として接し感情は持たない。顔なんて覚えていない。他人の話に共感するフリをして、頭ではぜんぜん違うことを考えている。人の話を聞くのが苦手な私にとって、手や体を動かしながら話を聞く作業は意識が分散されて勝手が良い。いつかこの物体はここに来なくなる。それは人間関係を一定期間でリセットしてしまう私にとって都合が良い。私にぴったりの職業だと思う。

 

3.

今年に入って「自分は出会った人がどんな人柄で性格をしているのか見透かすことができる」と言ってきた人間が2人もいた。出会って数週間の私へ、そんな事を言ってくる彼等のその言葉に彼等自身の弱点があるように思えてならなかった。神様のような事を言うんだな、と甚だ滑稽に感じたが、私は持ち前の笑顔で「すごいですねー!!」と褒め称えた。そして家に帰って彼氏と馬鹿にした。彼等は私が家に帰ってから馬鹿にすることを見透かして、その話をしたのだろうか。そうだとしたらかなりのドMだと思う。私は自分にとってどうでもいい人を決して否定しない。同調して笑顔で対応する。どうでもいいので、話をほぼ聞いていない。否定したり意見を言うのは、それなりに頭を使うし疲れる。それは大切な人の為にとっておきたい。私にとって大切な人は数人いればいい。私がどんな人間なのか見極めて、そこで彼等が私に対する認識を終わればそれはそれでいい。もう認知しないでくれ。私も彼等をそういう人だと認識するから。もう関係がそれ以上になることもない。

彼等が私に下した判決は、占いのそれのようなもので至極当たり障りのない普遍的な人物像だった。誰しもがそういうは麒麟は持っているだろうし、把握できてるとも思えなかった。私はそれに対してやはり「合ってますー!すごい!見透かされてるみたい!」と笑顔で対し、満足そうな相手の表情を吐き気を堪えながら頭で中で塗り潰した。人間はレッテルを貼られたり、押し付けられたりすることを嫌うということを、自分とは違う何かに変わりたいと願う気持ちがある人もいるということを、その気持ちを踏み躙る行為をしていることを、彼等はきっと見透かすことができない。

 

4.

どうせ周りの人間のパペットとして、話のネタにされるのだ。「あいつは、こうでこういう人生を歩んだからこうゆう人間だ」とかあーだこーだ言われる。そうやって誰かを枠に落とし込まなければ安心できない人間もいる。そういう話をするのが好きな人間もいる。どうせパペットになるなら、私も少し楽しませて欲しい。だから、私はここに来る時すべてを嘘で塗り固めた。嘘の家庭、嘘の体験、嘘の動機。私の嘘を弄んでよ。嘘だと気づかない哀れな皆さん、どうか私の嘘を本当にして欲しい。こんな人生だったらと願う私の気持ちを、過去を、私という人間で取り扱って欲しい。真実を知ったとき、見透かせたと満足そうな顔をするのか、私に見せて欲しい。

壊れ物

0. 夢

 夢を見た。高校と大学の知り合いが入り混じった同窓会の夢。先生に再会する。高校2年生の時の担任だ。同窓会では沢山の人が来ていて、酒を飲んだりつまみを取りながら馬鹿騒ぎをしていた。その会場は大きな宴会場のようで、私は居場所も話せる知り合いもいなくて、入り口の障子の前から動けずに、突っ立ったまま中の様子を伺っていた。宴会場はオレンジの室内灯に照らされてぼんやりと明るかった。私の立っている廊下は薄暗くて、まるで映画館で映画を観ているような気持ちだった。担任がふらりとその会場から出てきて、私の横をすり抜けて隣にある宴会場より一回り小さい会場へと入っていく。今いた場所よりグレード落ちしたような小規模な会場だ。私は少し間を置いて、彼に着いて、その部屋へと入った。彼は部屋の奥の窓際で煙草を吸っていた。私は無言で彼の隣に座って煙草を咥える。彼も無言のまま窓を開けて、2人で煙草を吸う。窓の下では、泥酔した男女が馬鹿みたいに笑いながらはしゃいでいた。その様子を2人で言葉もなく眺めていた。煙草の煙をゆっくりと吐き出して、彼は窓下を見たまま「俺がどんな気持ちで卒業アルバムにあのメッセージを書いたのか、お前には分からないだろうな」と言った。私は自分の卒業アルバムに書かれた担任のメッセージを思い出すフリをする。確かによく分からない詩のようなメッセージだったと納得する。でも現実の私は高校の卒業アルバムの寄せ書きをする日に学校には行かなかった。卒業式の前日に行われる毎年恒例のイベントのようなそれに、私は行けなかった。夢から覚めて、私は納得したはずの彼からのメッセージを全く思い出せずにいた。そもそもそんなメッセージなど無かったのだから思い出せるはずなどないのだけれど。

 

1. 光

 匂いには記憶が付随するとよく聞くが、それはどうしてなのだろう。嗅覚を記録する媒体が、自身にしか無いからなのだろうか。私が1番最初に暮らしていた家は、田舎を絵に書いたような場所で、周りは田んぼに囲まれていて町内にコンビニやスーパーは無かった。聞こえてくるのは、風の音や隣家の子供の声ぐらいで、他にはたまに通る車やバイクの音くらいだった。私は自分の部屋から、何もないおかげで遠くまで見通せる景色をずっと眺めていた。そんな静かな場所では、光にすら音を感じれるような気がした。サラサラしてたりキラキラしてたり、それが音なのか何なのか分からなかったけれど、手に取ろうとしてもすり抜けてしまうそれに、私はずっと耳を澄ませていた。あれも匂いを発するのだろうか。ときどきふとした瞬間に、あのサラサラやキラキラが私の前をスッと過ぎ去ることがある。今住んでいる場所では、一歩外に出ると本当に多種多様な音が私の周りを支配している。私はまだこれに慣れずにいる。思い出したように通り過ぎる光の音だけが、私を今ここに繋ぎ止めているように思う。ぼんやりと、もうここはダメかもしれないと気づき始めた。この場所が悪いわけじゃない。関係してきた物事が悪いわけじゃない。私自身が、ここで失ったものや間違ったことの精算を終えたら、私は帰ろうと思う。思い出をくれてありがとう。でも、もう疲れた。

 

2.かくれんぼ

 私が鬼だ。目を閉じて「もういいかい?」と大きな声で叫ぶ。「まーだだよ」と何処からか誰かが返事をする。閉じた視界は真っ暗で、顔を覆った手を開いた瞬間に立ち現れる世界のことをずっと心待ちにしている。いつもこの時間に心は緊張と期待と興奮を感じていた。あの頃も同じで、知らない場所や環境に不安を抱きながらも、閉ざされた世界から放たれることをただ願っていた。「まだだ」と言う声は、これから出会うだろう環境や感情や人間で、在るはずのそれらを見つけるために私はじっと目を閉じて耳を澄ませていた。実際に見える世界なんて、目を閉じる数分前に見ていた世界と同じもので、何も変わることなんてないのにね。それでも「まだだ」という声がするたびに、私は目を閉じて期待する。でも何かを擦り減らしていくうちに、その声は「まだ頑張れる」「まだ何かある」と耳元で囁く自分の声へと変わっていった。「もういい?もういい?」と顔を覆った手から涙が溢れ落ちていく。「まーだだよ」と声がする。待つことにも期待することにも疲れた私は、そっと手を下ろして辺りを見渡す。誰もそこにはいなくて、変わらない景色が当たり前のように在り続けるだけ。私は一体なにがしたかったんだろう?幼少期の頃に一緒にかくれんぼしていた友達の顔も今ではもう思い出せない。

 

3. 螺旋の上で眠る

 記憶とは螺旋だ。グルグル渦巻いていて、行ったり来たりしてるうちに、どちらが向かうべき場所なのか、来たはずの場所だったのか分からなくなる。どこまで続いているのかも分からず、目眩のするような光景に辟易して立ち止まろうとも、上にも下にも同じ螺旋が渦巻いている。