summer end

1.

体の節々に痛みを感じる。そこあるのは生への息苦しさ。面白いことなんて一切言えない私は、誰かの言葉をなぞってそれを発話していく。嘘で円滑に上手くいくことばっかりで、本当の話なんてこの世界では全く必要とされない。台本があって、それを話せば終わるようなそんな世界なら私は私自身に責任を持つことなんてしなくて済むのにな。上手くいかないこともある。それがストレスになる。そしてそのストレスを日々に落とし込んで、ただ続いていく毎日で他の対象に意識をしなければ人間は保たなくなってしまう。全てを塗り潰す。嫌いな出来事を反対の出来事の色で塗り潰す。そうやって生きていく。何も思い出さないように。自分を守るために。文字に出来ることだけが私にとって真実の言葉。この世界のスピードはあまりにも早くて、話す言葉は流されていくなら、それはもう私のものではない。嘘でいい。

 

2.

完璧とは脆さと隣り合わせ。綺麗なものほど、ひびが入れば一瞬で崩れ落ちる。もう子供じゃない。綺麗なままではいられない。汚れてしまったことに後悔なんてない。使い続けると朽ちていくのは人間も同じ。早く私は私を消費して消えて落ちてしまいたい。昔より落ち込む頻度が減っていって、それは即ち私と世界とのスピードが調和していっているということ。立ち止まっていても、自分のペースで歩き出すことを許さない世界に、私は自分の我儘を辞めた。私は意外に上手くやれてるんじゃないか、と自分を慰める。皮肉なもんで、それは社会に迎合することを足掻いていた私を否定する行為。それならもっと早く分かっていたなら、と思わずにはいられない。今の不幸は全て自分の行いで決まる。何かを認めるたびに、それをしなかった自分を否定する。誰もがすんなりと社会に迎合できるわけではない。それを子供の我儘だと言うだろうか。抗うものを世界は否定する。私はその世界に合わせたフリをしながら、ちゃんと俯瞰して世界を否定できるだろうか。

日々から解き放たれて1人になると、いつも考えてしまう。これが私の本当の意識なのだろうか。図書室で読みたい本を選ぶような純粋な世界への興味は、今の私にとっては不安しかない。与えられたものを摂取する方が、そこに対人関係が生まれ認められると思ってしまうんだろう。回避能力だけが人一倍傲慢に育ってしまった。私は私の奥を知っている。どこまで落ち込んで、落ち続けしまうのか、そして這い上がり同じ明日を迎える為に、どれだけの時間と余力が必要なのか。茶番のような鬱になっては、明日ケロッとした顔で日々に接する。

人を人だと思ってはいけない職種で、私は横たわる物体を日々眺める。嘘と笑顔で塗り固められた空間に身を寄せる。人間の7割は水で、私はその水袋達に手を施す。ぷかぷかと揺れるそれらに合わせて、私は笑いながら嘘を吐く。我にかえるといけないから、出来るだけ物体として接し感情は持たない。顔なんて覚えていない。他人の話に共感するフリをして、頭ではぜんぜん違うことを考えている。人の話を聞くのが苦手な私にとって、手や体を動かしながら話を聞く作業は意識が分散されて勝手が良い。いつかこの物体はここに来なくなる。それは人間関係を一定期間でリセットしてしまう私にとって都合が良い。私にぴったりの職業だと思う。

 

3.

今年に入って「自分は出会った人がどんな人柄で性格をしているのか見透かすことができる」と言ってきた人間が2人もいた。出会って数週間の私へ、そんな事を言ってくる彼等のその言葉に彼等自身の弱点があるように思えてならなかった。神様のような事を言うんだな、と甚だ滑稽に感じたが、私は持ち前の笑顔で「すごいですねー!!」と褒め称えた。そして家に帰って彼氏と馬鹿にした。彼等は私が家に帰ってから馬鹿にすることを見透かして、その話をしたのだろうか。そうだとしたらかなりのドMだと思う。私は自分にとってどうでもいい人を決して否定しない。同調して笑顔で対応する。どうでもいいので、話をほぼ聞いていない。否定したり意見を言うのは、それなりに頭を使うし疲れる。それは大切な人の為にとっておきたい。私にとって大切な人は数人いればいい。私がどんな人間なのか見極めて、そこで彼等が私に対する認識を終わればそれはそれでいい。もう認知しないでくれ。私も彼等をそういう人だと認識するから。もう関係がそれ以上になることもない。

彼等が私に下した判決は、占いのそれのようなもので至極当たり障りのない普遍的な人物像だった。誰しもがそういうは麒麟は持っているだろうし、把握できてるとも思えなかった。私はそれに対してやはり「合ってますー!すごい!見透かされてるみたい!」と笑顔で対し、満足そうな相手の表情を吐き気を堪えながら頭で中で塗り潰した。人間はレッテルを貼られたり、押し付けられたりすることを嫌うということを、自分とは違う何かに変わりたいと願う気持ちがある人もいるということを、その気持ちを踏み躙る行為をしていることを、彼等はきっと見透かすことができない。

 

4.

どうせ周りの人間のパペットとして、話のネタにされるのだ。「あいつは、こうでこういう人生を歩んだからこうゆう人間だ」とかあーだこーだ言われる。そうやって誰かを枠に落とし込まなければ安心できない人間もいる。そういう話をするのが好きな人間もいる。どうせパペットになるなら、私も少し楽しませて欲しい。だから、私はここに来る時すべてを嘘で塗り固めた。嘘の家庭、嘘の体験、嘘の動機。私の嘘を弄んでよ。嘘だと気づかない哀れな皆さん、どうか私の嘘を本当にして欲しい。こんな人生だったらと願う私の気持ちを、過去を、私という人間で取り扱って欲しい。真実を知ったとき、見透かせたと満足そうな顔をするのか、私に見せて欲しい。