夢の話です

0.夢は映画のワンシーン

朝、目が覚めて割りとしっかりした頭で夢の内容を細分化して夢占いで調べた。起きた時に夢の内容を覚えている時は、私はよくネット情報による夢占いをする。昔から心理学とか深層心理とかそういった類いの物に興味があって、幼少期には分厚い占い本を持っていて何度も何度も読み返していた記憶がある。(心理学は占いとは違うと、高校時代に進路相談をした先生に言われたけど、学問としての心理学が占いの類いとは違うことなんて17歳の私はちゃんと理解していた。)今日の夢に名前を付けるなら、そうすることで特別になるなら、「Merry Christmas Mr.Lawrence」。この夢には一切、坂本龍一ビートたけしデヴィッド・ボウイも関係ない。だけれども、目覚めた時の気分は「戦場のメリークリスマス」を見終わった後の、坂本龍一のあの曲を流しても差し支えないような、何だかもの悲しいけれどすっきりとした気持ちだった。永遠の別れとケジメ。まさに「Merry Christmas Mr.Lawrence」だ。そういえば、数ヶ月前に大学時代の母校の先生から「2023年に大島渚作品が国立機関に収蔵される予定のため、3月31日が最後の大規模ロードショーになる」と連絡が入っていた。映画館でぜひ観てとのこと。今になると観に行けば良かったと思う。昔の映画を映画館で観る機会なんて、大学時代にTSUTAYAでDVDを借りて家で観ていた私には縁の無かった話だから。先生は今でもたまに映画の宣伝をLINEで送ってくれる。大抵が復刻上映のもので、先日「ユリイカ」の宣伝を送ってきた時には、「これはさすがに…」という気持ちだった。3時間越えの作品を映画館で座って観続ける気合いが今の私にあるのかが問われる。もう大学を卒業して4年も経ったのだ。劇団四季の2時間半の作品でさえ、間に小休憩が入っても、お尻が爆発しそうなくらい痛くなるのに。でも家で観るのをもっと不可能だろう。たぶん開始30分も経たずに寝てしまうか携帯へ意識を集中させていると思う。大学時代は、家で映画を観る時に、隣で携帯を触られるとイライラした。映画中に携帯を触るなんてマナー違反だと思ったし、内容なんて何も残っていないのだろうと邪推していた。でもそんな人が上手に映画のレビューを書いていると、真面目に生きている自分が馬鹿らしくてもっとイライラした。だって、何かの作品を観ても読んでも何も頭に浮かばない。感想を言語化することが出来なくて、ほやっとした感情が自分を纏っているだけなのだ。そのことに何の疑問も持たなければ良かったのに、難しく考えすぎてもっと分からない。その時に感じた興奮や感情を上手に言葉へ乗せれる人が羨ましい。先生から未だに連絡が入ることを嬉しく思う反面、先生の紹介してくれる映画を全然観れていないことを心苦しく思う。出来るだけ丁寧に返信した内容は、表面上を取り繕った抽象的なもので、締めの言葉は「タイミングが合えば観に行きます」。例えるなら何も理解してないのに、どこかから齧った言葉を自分のモノにする前に発言している、中身のない薄っぺらなタレントコメンテーターみたいだ。(そんな政治の話をアスリート上がりのタレントに振るなよ、絶対分かってないし質問と答えが平行線になってるぞ、と思うし、お前もそのコメンテーター席に座る前にちゃんと予習して勉強して来いよとも思う。パンダの話にしか乗れないコメンテーターなんて要らないの。街頭インタビューで十分なの。)もやもやした思いが残るから、次に紹介された映画はちゃんと観にいこうと思う。

 

1.お片付け

私は誰かに自分を分析して欲しい。もっと言うなれば、比喩的な意味で、解剖して欲しい。私を一旦細切れにして、ちゃんと細分化して、丁寧に整理整頓し直して欲しい。本棚の本を背丈順に並べるとか、あいうえお順に並べるとか、ちゃんと何らかの規則に従って綺麗にして欲しい。要らない物は捨てて、使うかもしれないものは箱に入れて奥に閉まって、よく使うものだけ取り出しやすいように手前へ並べて、効率の良い私にして欲しい。片付けの途中でやり忘れていた夏休みの宿題が出てきて、今日が8月31日だったことに気づくの。本当にまるっと新品のドリルが1冊。国語ドリルなら1日あれば大丈夫だけど、算数ドリルならちょっと徹夜になるなとか考えてしまう。1ヶ月少しの期間で奥に追いやられてしまったドリル。現実のやり残した問題は、もっともっと年月を肥やしにして、きっと私の奥深くで今も気掛かりになって残っている。って夢占いで言ってた。

 

2.冬の朝、大きなサングラスと飛行機

恋人が結婚すると言ってきた。私とじゃない違う誰かとだ。私はちゃんとしっかりショックと悲しみを感じながらも、それを了承した。その翌日に恋人は左手の薬指に婚約指輪と結婚指輪をダブル重ね付けしていた。とてもダサいなと思いながら、その浮かれぽんちな彼が一層憎たらしくて、彼の指には少し大きめの指輪をスポスポと薬指に抜いたり入れたりした。結婚を決意した彼は何だか別人のようで、裕福で盲目の老外人のような柔和な笑みを浮かべて、来るべきその日を待ち望んでいるように見えた。ずっと何年も一緒にいたのに、そんな最近出会った人とすぐに結婚を決めてしまうなんて、自分が惨めで仕方なかったし、私は結婚に値する人間じゃなかったんだなと思った。彼にその思いを伝えて「私のどこが悪かったのか」と聞くと「人民主義なところ」と言われた。(夢の中でこのワードが出てきたとこにビックリ。目覚めて初めて単語の意味を調べて知った。そんなわけない。)人民主義がどんなことか、それが私の人格をどう位置付けるのか分からなかったので、「どういうこと?」と聞くと「頑張りすぎなところ」と答えが返ってきた。私はそっか、と言って部屋の片付けに戻った。中学時代に工作の授業で作った棚があった。その棚は設計ミスがあったものの(棚の端である側板に角度を付けていたのだが、手前と奥の向きを左右逆に取り付けてしまっていた)、先生から「逆に芸術性がある」とお墨付きを貰い、成績も1番評価の高いものだった。思い返せばきっと、優等生バイアスと言うか、私は学生時代、先生達から贔屓されていたのだと思う。その棚に前職で(夢の中で)盗んできた(体になっている)シェーバーを並べて乗せた。学生時代に優等生で神童と呼ばれた生徒が大人になって、堕落した生活を送っているなんてよく聞く話だ。その棚はちゃんとそれを現すモニュメントとして機能している。人格や将来を形成する学生時代という器もとい棚へ収められる現在の姿は、盗んできたシェーバー(笑)しかもそのシェーバーは、何世代か昔の壊れた代物というオチ付きだ。こうやって自虐的にしか今の私を捉えることが出来ないのが1番の問題なんだろうな。そんな棚を見つめながら、「なんだ、頑張って真面目に生きなくたって良かったんじゃないか」と「頑張りすぎ」と言われた私はポツリと心の中で呟いた。あの頃勉強ばっかりせずに、友達と遊んだり趣味を見つけたり、そんなことをしても良かったんじゃないか。だって結局何にも残ってない。地元に今でも会える友達は1人もいなくて、あんなに頑張ってた勉強の内容も、記憶力の低下によってどんどん私から離れていく。最近CMで聞いた「楽市楽座」なんて、どんな条例かもう全然分からない。現役時代は確実に正解できる問題として提示されたものであったはずなのに。私を置き去りにして、記憶は私からすり落ちていって、新しいものを入れようともせず、不可逆な時間の流れを過去の方を向いて睨みつけているだけ。夢から覚めて調べた人民主義だって、解放を目指しながらも頓挫して結局はテロに帰結してしまった。お告げのようで怖い。来るべきその日、大きな黒いサングラスをかけた恋人は、冬の朝に雪が振りしきる空の下、金髪マダムのパートナーを連れて飛行機で飛び立ってしまった。「Merry Christmas Mr.Lawrence」別れの言葉だ。