過去

0. 頭

思い出は全て過去形で、過ぎ去ったすべてが文字通り過去形だ。過去の中にこそ私の全てがあるのに、それを引きずり囚われてしまうことは賞賛されることではない。現在進行形の言葉に真実など無くて、すべては結果からしか物事を捉えることなどできない。今感じた気持ちも温度も言葉もぜんぶ、空気に触れた瞬間に酸化が始まり、過去になる。薄れてゆく記憶と更新されていく日常。この数年の間に取り出して眺めたい記憶などなくて、ずっと私はあの頃から動けないままなのかもしれない。「幸せな今」を言葉にするのは簡単でも、「幸せにしてあげたかったあの頃」を見殺しにしてまで浸ることが出来るほど私は私を許すことができない。

何もかもがフィルター1枚かかったように、ぼやけている。いつからかは覚えていない。そのフィルターを剥がせば、私も向こう側にいけるのだろうか。もう一度会いたい人や、やり直したいことを取り戻すことができるのだろうか。ふとした瞬間に壊れる精神を抱えて、普通を演じて息をする。狂人のままでいられた方が、私にとっては楽だったかもしれない。「普通の今」を手に入れた私が「普通になりたかったあの頃」を何度も何度も繰り返して思い出して、風化しないように何度も何度も思い出して、大切にしているのだ。滑稽な話だと思う。

 

1.傷の砂上

あの頃私を私で在ると証明してくれた、過去の思い出や傷跡は、社会に出て年齢を重ねていくごとに、割と普遍的に存在する事象の1つでしかなかった。私は特別になりたかったのだろうか?特別とまではいかなくても、日々に埋没することのない繊細な存在として扱って欲しかったのかもしれない。風化させることのないように、治ることのないように、重ねて付けた傷は何の意味も持たないのに。泣くほど私を憐れんでくれたり、抱きしめてくれた成功体験によって私は私を傷つけることでしか、相手に自分の存在価値を見出せなかったのだと思う。誰よりも不幸になりたかった。それも今の自分のままで。私がそれを実現するためにしたことは、真実の隙間に嘘を混ぜ込ませて話すこと。正確には嘘の中に僅かな真実が含まれているということ。私は私を演じるうちに、自分の周りを嘘で固めた。でもきっと、みんな気づいてたよね。だからあの頃に出会った人達とは関係が続くことがなかった。若かったといえばその通りで、でもそんなことをしなくても仲間に囲まれて楽しく生きている人はもちろんいて、私はそのことをちゃんと知っていて、だから毎日とても苦しかった。

 

2. 26

誰からも祝われることのない誕生日を数年経験して、私はようやく自分の誕生日周辺にプレゼントや祝いの言葉が集まるまでに復帰した。不幸を取り繕ったとして、幸せになれるわけではなかったのだ。私が自分以上に人を大切にしない限り、相手も私を大切にすることはできない。小学生まではそんなことちゃんと理解出来ていたはずなのに、どこで狂ってしまったのだろうか。私は過去に戻れるとずっと信じていた。馬鹿だと思われるだろうけど、それは明日が来るのと同じ感覚で私の中にずっと居座り続けた。時間は不可逆だと言われても、私は何度もやり直せるとやり直せるんだと自分に言い聞かせた。目を塞ぎたくなる挫折や裏切りで、自己防衛本能から生まれたその気持ちは、私に今を生きることを許そうとはしなかった。今に埋没して生きていくなら、日常を受け入れてしまっては、今まで抗い続けた結果失った全てが自分をきっと許さないだろうと。今までの自分を否定することになると。でも過去になんて戻れなかった。何度寝ても来るのは明日ばかりで、意識をぼやけさせて日常をスクリーン上で見ているかのような他人事に据え変えたとしても、私は今の私を生きるしかない。

 

3. 鏡

「ずっとここにいたかった」と昔の私が私を見て言う。私は彼女を何度も殺した。多重人格なんてものではないけど、私は何人かの私を自分の中に住まわせている。それはきっと他の人も同じだと思う。私が人と違うのは、その別の私を時々取り出して対話をすることだ。必要なものは鏡だけ。鏡を通して見る私の目の奥に私を見る私がいる。肉眼では見えないけど、その目の奥にもきっと私を見る私がいる。鏡を見ているのか、見られているのかどちらか分からない。封じ込めてきた私自身がミルフィーユ状に積み重なって幾人かの私になっている。早く今の私もリセットして、鏡の向かう側へ連れて行ってほしい。

私は間違ったのだ。はっきりとそう自覚できる。