歪んだ憧憬

0. 持続不可能な人材

 もって2年が、1年になり、そして半年になる。私はまたそうやって逃げるのだと思う。仕事がすごく嫌いなわけじゃない。職場がすごく嫌いなわけじゃない。ただ、ずっとは居られない。ここもたぶん長くない。来年のことを予測できたことなんてなくて、大抵違うコミュニティーで違うことをしている。

 

1. 窓

 私には、2~3年前から毎日欠かすことなく追っている人がいる。いわゆるネットストーカーというやつだ。その人のプロフィール(履歴書に書けるようなもの)は全て把握していると思う。住所も職場も家族構成も交遊関係も、私は全て知っている。2~3年もネットストーカーをしていれば、その人が今どこにいて何をしようとしてるのか、大抵予測がつくようになった。だからといって、待ち伏せしたり悪事を働こうとは微塵も思っていない。ただ、分かる、知っている、それだけのこと。その人はおそらく私を知らない。私たち(なんて言えるのだろうか)はそういう関係だし、これからもそれは変わらないだろう。

 私がどうやってネット情報だけで個人情報を暴き出すことができたのか。簡単に言えば執念とフィールドワーク。画像に写っているベランダから見えるわずかな看板を元にGooglで画像検索をする。過去の発言や画像と紐付けながらGoogleマップで辺りを探し歩く。実際に訪れて確認する。過去の発言などから周りにある建造物や最寄りの電車である程度の場所を把握しておけば、見つけ出すことはさほど困難ではなかった。職場も同様だ。情報が多ければ多いほど見つけ出すことは簡単になる。そういった点で、その人は良い被験者だった。

 ストーカー犯罪の手口でよく使われる一般的なものだ。私も犯罪一歩手前といった感じだけれども、文字通り「知ってるだけ」なので法には触れていない。しかも、その人はもうすぐ引っ越しをするらしい。そうすれば個人情報の一部は変更されるし、ここから遠い場所なので土地勘のない私には、執念とフィールドワークによるストーカー行為をする気力も体力もない。「知ってるだけ」は徐々に「何も知らない」になる。そもそも私は何を知っているというのだろう。文字に起こせるような履歴書の一部を確定させただけだ。液晶越しに見るその人の人生は、窓一枚隔てたよりも更に更に遠くて手の届かないところにある。私はこの先何年その人をネトストしたとしても、何も知り得ることはできない。

 

2. 影法師

 きっかけなんて些細なことだと思う。でも自分が何故ここまで執着しているのか、自分自身でもよく分からない。きっかけは確かにその人でなければならなかった。だけれど執着する理由は他の誰でも良かったのだと思う。私にないものをたくさん持っている人なんていっぱいいて、大抵そんな人ばっかりの世界。大事に育てられてお金もあって肯定されて生きている。真っ直ぐで羨ましかった。歪んだ私には、「普通」に生きるための見本が欲しかった。「愛される」ための説明書が必要だった。だからその人の過去7年以上にわたる記録を一つ残らず読み込んだ。読んでいくうちに羨ましさが増していった。でも不思議なことにその羨ましさを押し潰そうとすればするほど、私は「演じる」ことをするようになった。「無ければ作ればいい」誰からも理解されない歪んだ私を捨てて、私はその人のように振る舞うようになった。たった7年の資料で作り上げたのでガタガタの構造物ではあったけれども。

 その人のように振る舞えば振る舞うほど、みんなと仲良くやっていける気がした。親や彼氏ですら、「明るくなったね」と喜んだ。私は「ああ、そっか。みんな昔の歪んだ私は苦手だったんだな。そりゃそうか。」という気持ちになった。私は彼女の画像を見て笑顔を覚えて、楽しいと発言すれば同じ場所に行って楽しそうに笑う。似たような服を買って、似たようなメイクをする。これは虚構だろうか?狂気だろうか?本当に今笑ってるのは私自身なのだろうか?

 久しぶりに帰省したとき、私が彼女のように振る舞うと(事前に帰省編で予習済み)親は嬉しそうにしていた。私はそれが堪らなく辛かった。嬉しそうな顔をする両親を前に辛く感じてる自分にまた辛くなった。押さえつけられて生きてきた私が、押さえつけられることなく自由に生きてきた人の真似をする。こっちが良かったなら、どうして私を否定し続けたの?私が歪まなければ、こんな風に接してくれたの?私を好きだと言ってくれた人も、今の私の方がいいと言う。そりゃそうだろ。そうだったんだろう。と私は思う。

 生きづらさを抱えて生きるのが苦しくて、誰かのフリをして愛される真似事をしてみたけれど、残ったのは虚しさだけだった。私は今も演じることを辞めれずにいる。その方が居心地がいいのは確かだから。でも、いつか死ぬときがきたら、私はどっちの私で死ぬのだろうか。