惰性の生

0. 居場所

 最近「人はみんな自分の為に生きている」と言われた。私は、そうか。そうだったんだ。と思った。私は他人があっての自分で在ろうとしたせいで上手く生きられなかったのかもしれない。嘘でもいいから誰かに「一番大切だ」と言って欲しかった。今まで誰も私を一番に必要とはしなかったから。こんなことを望むのは傲慢だったのだろうか。私が彼らの望むことを辞めれば、彼らは私から離れていった。型に収まらなくなれば捨てられる。親も友達も恋人も望まない私はいらないらしい。拒絶。少しでも大切にされたくて望まれるように演じる。だけど積み上げても、それを止めれば一瞬で崩れ去る。私はただそれを無表情で見つめることしかできない。本当に苦しいとき、誰もが私に背を向ける。誰にも相手にされない私の苦しみは、全て自分で消化するしかなかった。自傷。私にはそれしか残っていない。一人で寂しいはずなのに、その自分を大切にすることができない。痛い。傷が痛い。でもそれで紛れるから、もういいや。

 

1. 惰性

 自分がなぜ生きているのか、あまり考えないようにした。「親を悲しませない為」というネットから拾ってきた理由で決着をつけることにした。惰性の生。今の私にぴったりとくっついて離れない言葉。先月、私は言葉どおり自殺しようとした。10年以上の希死念慮と共存し続けてきて、もう楽になりたかった。結果的に私は今も生きている。死ねなかった。首に食い込む紐が苦しくて堪らなくて。本当に弱い人間だと思った。死ぬこともできない。「どうせ死なないでしょ」と言った人達の顔が浮かぶ。私はどうせ死なない人間でした。もし誰かが「死にたい」って言ったら、「どうせ死なないでしょ」とか「私だって辛いのよ」とか言わないであげてください。その言葉は呪いです。死ぬことも生きることも肯定されない心の痛みを患います。どうして生よりも死の方に憧れるのか。私が自分で決して手にしないと分かっているからなのだろうか。

 

3.  無いもの

 昔といっても学生の頃なんだけど、精神安定剤をつまみにお酒を飲んでいたことを思い出した。その頃私は「酔っぱらう」という感覚が分からなくて、酔って楽しそうにしてる人を羨ましくて嫌悪していた。私はお酒でさえ、多幸感のようなものを感じられないんだなって思った。それとは全然関係ない理由で、私はお酒と薬を一緒に飲むようになった。「死ぬ」と聞いたからだ。今考えるとゾッとするけど、お酒を飲みながらポリポリと薬を咬み飲む。びっくりするほど早くお酒は回って、悲しいのか嬉しいのかよく分からなくなる。普通、本当必要なときに水で薬を飲むとすべての感情がオフになるから、色んな感情がぐるぐると頭を巡るのはなんだか楽しかった。気づくと深く深く底の方に落ちていく感覚。「このまま死ねたら…」と願いながら、落ちる感覚に身を任せる。でもどれだけ飲んでも死なない体、そして翌日浮腫みまくった顔。薬と酒の飲み過ぎでバグった頭。外に出れない日々。白痴だな、まさに。どうしてこんなに死にたいのだろう。