She wants to see

0. -

 クラシック調の音が流れ出して目が覚める。初期設定のままのアラーム音は、よく想起されるうる不快でけたたましい音ではなく、豊かな暮らしを想定されたかのような優しい音色だった。年明けに新調した最新機種の携帯は、とにかく音が綺麗で、さすがだな、と毎朝感じながら布団からゆっくりと這い出す。

 クラシック調の音色をBGMだとするなら、俯瞰して見られる私の寝起きの姿は、春になって土からもぞもぞと姿を現す虫のようだと思う。

 虫のように生きている。もぞもぞと毎日同じ電車に揺られて、もぞもぞと仕事をして、もぞもぞと食事を摂り、もぞもぞとまた布団の中に戻っていく。そこに感情はない。在るのは与えられた日々だけで、命つきるまで、自分が何者であるのか、何の為に生きているのか気がつくことはできないのだろう。

 空の容器を外側から見るふりをして、その中に実は自分自身が閉じ込められていることを理解できない。自分を透明にしてしまった方が、この世界は生きやすい。何かあるはずだと、じっと目を凝らしても、何かあっては困るのだ。透明なまま、「在る•無い」を考えないまま、もぞもぞと今日を消費していく。

 

1. △

 過去のことをよく覚えている。つい最近のように、その時感じた気持ちを簡単に文字に起こすことができる。そう思っていたが、実際は忘れてしまわなければいけないことは、ちゃんと封じ込められていて、それを思い出すときには、客観視していたはずの感情が気持ち悪いほど自分の側に擦り寄ってくる。

 昨日の夜、物を落とした。無くしものをしたわけではない。お風呂から上がった私は、化粧水を仕舞おうとして、その棚に置いてあったマニュキュアやら化粧品やらを一式、床にバラバラと落としてしまった。手が滑ってそうなった。そのとき、一つの感情が思い起こされて、それから今日の今までずっとそれを引きづり続けている。

 大学に入学して間もなくの頃、私はよく物を投げていた。正確に言うと、窓やベッドに向かって目につくものを、手当たり次第に投げつけていた。壊れてしまったものもいくつかある。記憶にあるのは2つ。一つはティファール。実家から譲り受けて持ってきたもので、部屋の壁に投げつけたら凹んでしまった。それ以来、お湯を沸かすことはできなくなった。もう一つは、カエルの絵がプリントされた深皿。これも実家から貰ってきたものだった。母と二人暮らしを始めた頃、ある日買い物先で見かけたそのカエルの皿に一目惚れをした。母はカエルが好きだった。質素な暮らしをせざるを得なかった私達だが、二人ともそのカエルの皿から目が離せなくなり「連れて帰ろう!」と言って、2枚のお揃いの皿を購入した。それから決まって、私達の食卓にはカエルの皿が同席していた。その一枚を持ってきたのだ。あの日々の暮らしを忘れないように。

 どうしようもない日だった。どうしようもなくて、部屋の中はぐちゃぐちゃで、意識も朦朧としていた。私は台所で蹲り泣いていた。ふと顔を上げると食器棚で笑っているカエルと目があった。私はゆらりと立ち上がって、そのカエルの皿を手に持ち高く振り落として真っ直ぐ叩きつけた。皿は私の足の上に落下して、粉々に砕けた。足の甲には激痛が走り、その感覚とともに、自分が何を壊したのか理解した。その日から私は何も投げてない。

 バラバラと音を立てて足元に散らばる、マニュキュアやら化粧水の瓶やらの音で私は思い出した。全て投げつけてしまいたい衝動に駆られた。私は結局私でしかいられないことに気づかないふりをしていただけ。私の手は真っ直ぐに、まだそこに残っている化粧道具の棚の上へと伸びていった。リセットするには一度すべてを壊すのが手っ取り早いから。

 

2. □

 理由のない絶望。私を縛るのはいつも私自身。いい子でいること、望まれたように振る舞うこと、自分を押し殺すこと。私はいつかの私に戻ろうと思った。他人の思い通りに動くことで、人は自分自身を消費させ、そして失っていく。舞台が幕を下ろすように、ぷつりと私は途切れていく。日々が連続的なものではなくて、断片的なものの積み重ねとなっていく。感情はすでに私のものかも疑わしい。そうやって、いつか私は私ではなくなって、知らぬままに殺されていく。私は私の知らないうちに死にたい。さっさと連れていってくれよ。

 にっこり笑ったカエルの顔が忘れられない。今まさに壊されようとするのに、笑い続けて馬鹿みたいだ。プリントされた皿から動けないままでいる。すべては他者の手に委ねられていて、自我のかけらも持ち合わせてない。私が皿を叩きつけたことを知ったら母はどんな顔をするだろうか。臆病な弱さは人を傷つけるだけだろう。せめて親孝行くらいしてから死にたかったな。「私がもしまた産まれてきたら、今度はもっと賢くていい子が産まれますように」そう綴った10年前の日記と同じことを、今も抱えて生きている。

 私は代役でしかなかった。腐敗してバラバラに崩れ落ちそうな家庭を、道化を演じることで繋ぎ止めようとした幼少期。離婚して、母と二人暮らしになって、隙間を埋めようと望まれるままに演じた10代。私は私の役割を終えてしまった。今、私は何の為に生きているか分からない。誰も私に望まないもの。あのとき以上に繋ぎ止めたい何かがないもの。私は代役でしかなかった。

 

3. ○

 10年前に耳にしてからずっと探していた曲があった。当時はインターネットも今ほど普及しておらず、SNSなんて言葉は誰も口にすることも耳にすることもない時代だった。当然携帯電話も皆が平等に持っているはずもなく、それは大人が使うもの(恵まれた子供が持つもの)だと思っていた。その頃中学生だった私は、父のいない合間を狙ってPCでひたすらその曲を探し続けた。YouTubeはあったので、似たような曲の関連動画や、辛うじて覚えている歌詞を検索欄に打ち込んでは、その曲がヒットするまで何度も繰り返していた。曲名も歌手名も覚えていなかったので、正に手探りの作業だ。かかること3年。私はその曲を見つけた。3年間をかけてずっと探していたわけではなかったが、それは心の何処かで待ち続けていたことだった。こんなにも時間がかかると、偶像崇拝のごとく神聖化され、出会いの瞬間に何かが違うという感覚に襲われるようなこともあるだろう。だけど私は、はっきりと「これだ」と思った。朧げな記憶が光を取り戻したように、ちゃんと輪郭を持って浮かび上がってくるあの瞬間を、私はずっと探していたんだと思う。今でも思い出した頃にその曲を聞く。曲名も歌手名も覚えているので1秒で見つけ出せる。両耳に刺さった2本のコードは、ドクドクと音を私の体に流し込み、そこに確かにある音を私に示してくれる。