夢の話です

0.夢は映画のワンシーン

朝、目が覚めて割りとしっかりした頭で夢の内容を細分化して夢占いで調べた。起きた時に夢の内容を覚えている時は、私はよくネット情報による夢占いをする。昔から心理学とか深層心理とかそういった類いの物に興味があって、幼少期には分厚い占い本を持っていて何度も何度も読み返していた記憶がある。(心理学は占いとは違うと、高校時代に進路相談をした先生に言われたけど、学問としての心理学が占いの類いとは違うことなんて17歳の私はちゃんと理解していた。)今日の夢に名前を付けるなら、そうすることで特別になるなら、「Merry Christmas Mr.Lawrence」。この夢には一切、坂本龍一ビートたけしデヴィッド・ボウイも関係ない。だけれども、目覚めた時の気分は「戦場のメリークリスマス」を見終わった後の、坂本龍一のあの曲を流しても差し支えないような、何だかもの悲しいけれどすっきりとした気持ちだった。永遠の別れとケジメ。まさに「Merry Christmas Mr.Lawrence」だ。そういえば、数ヶ月前に大学時代の母校の先生から「2023年に大島渚作品が国立機関に収蔵される予定のため、3月31日が最後の大規模ロードショーになる」と連絡が入っていた。映画館でぜひ観てとのこと。今になると観に行けば良かったと思う。昔の映画を映画館で観る機会なんて、大学時代にTSUTAYAでDVDを借りて家で観ていた私には縁の無かった話だから。先生は今でもたまに映画の宣伝をLINEで送ってくれる。大抵が復刻上映のもので、先日「ユリイカ」の宣伝を送ってきた時には、「これはさすがに…」という気持ちだった。3時間越えの作品を映画館で座って観続ける気合いが今の私にあるのかが問われる。もう大学を卒業して4年も経ったのだ。劇団四季の2時間半の作品でさえ、間に小休憩が入っても、お尻が爆発しそうなくらい痛くなるのに。でも家で観るのをもっと不可能だろう。たぶん開始30分も経たずに寝てしまうか携帯へ意識を集中させていると思う。大学時代は、家で映画を観る時に、隣で携帯を触られるとイライラした。映画中に携帯を触るなんてマナー違反だと思ったし、内容なんて何も残っていないのだろうと邪推していた。でもそんな人が上手に映画のレビューを書いていると、真面目に生きている自分が馬鹿らしくてもっとイライラした。だって、何かの作品を観ても読んでも何も頭に浮かばない。感想を言語化することが出来なくて、ほやっとした感情が自分を纏っているだけなのだ。そのことに何の疑問も持たなければ良かったのに、難しく考えすぎてもっと分からない。その時に感じた興奮や感情を上手に言葉へ乗せれる人が羨ましい。先生から未だに連絡が入ることを嬉しく思う反面、先生の紹介してくれる映画を全然観れていないことを心苦しく思う。出来るだけ丁寧に返信した内容は、表面上を取り繕った抽象的なもので、締めの言葉は「タイミングが合えば観に行きます」。例えるなら何も理解してないのに、どこかから齧った言葉を自分のモノにする前に発言している、中身のない薄っぺらなタレントコメンテーターみたいだ。(そんな政治の話をアスリート上がりのタレントに振るなよ、絶対分かってないし質問と答えが平行線になってるぞ、と思うし、お前もそのコメンテーター席に座る前にちゃんと予習して勉強して来いよとも思う。パンダの話にしか乗れないコメンテーターなんて要らないの。街頭インタビューで十分なの。)もやもやした思いが残るから、次に紹介された映画はちゃんと観にいこうと思う。

 

1.お片付け

私は誰かに自分を分析して欲しい。もっと言うなれば、比喩的な意味で、解剖して欲しい。私を一旦細切れにして、ちゃんと細分化して、丁寧に整理整頓し直して欲しい。本棚の本を背丈順に並べるとか、あいうえお順に並べるとか、ちゃんと何らかの規則に従って綺麗にして欲しい。要らない物は捨てて、使うかもしれないものは箱に入れて奥に閉まって、よく使うものだけ取り出しやすいように手前へ並べて、効率の良い私にして欲しい。片付けの途中でやり忘れていた夏休みの宿題が出てきて、今日が8月31日だったことに気づくの。本当にまるっと新品のドリルが1冊。国語ドリルなら1日あれば大丈夫だけど、算数ドリルならちょっと徹夜になるなとか考えてしまう。1ヶ月少しの期間で奥に追いやられてしまったドリル。現実のやり残した問題は、もっともっと年月を肥やしにして、きっと私の奥深くで今も気掛かりになって残っている。って夢占いで言ってた。

 

2.冬の朝、大きなサングラスと飛行機

恋人が結婚すると言ってきた。私とじゃない違う誰かとだ。私はちゃんとしっかりショックと悲しみを感じながらも、それを了承した。その翌日に恋人は左手の薬指に婚約指輪と結婚指輪をダブル重ね付けしていた。とてもダサいなと思いながら、その浮かれぽんちな彼が一層憎たらしくて、彼の指には少し大きめの指輪をスポスポと薬指に抜いたり入れたりした。結婚を決意した彼は何だか別人のようで、裕福で盲目の老外人のような柔和な笑みを浮かべて、来るべきその日を待ち望んでいるように見えた。ずっと何年も一緒にいたのに、そんな最近出会った人とすぐに結婚を決めてしまうなんて、自分が惨めで仕方なかったし、私は結婚に値する人間じゃなかったんだなと思った。彼にその思いを伝えて「私のどこが悪かったのか」と聞くと「人民主義なところ」と言われた。(夢の中でこのワードが出てきたとこにビックリ。目覚めて初めて単語の意味を調べて知った。そんなわけない。)人民主義がどんなことか、それが私の人格をどう位置付けるのか分からなかったので、「どういうこと?」と聞くと「頑張りすぎなところ」と答えが返ってきた。私はそっか、と言って部屋の片付けに戻った。中学時代に工作の授業で作った棚があった。その棚は設計ミスがあったものの(棚の端である側板に角度を付けていたのだが、手前と奥の向きを左右逆に取り付けてしまっていた)、先生から「逆に芸術性がある」とお墨付きを貰い、成績も1番評価の高いものだった。思い返せばきっと、優等生バイアスと言うか、私は学生時代、先生達から贔屓されていたのだと思う。その棚に前職で(夢の中で)盗んできた(体になっている)シェーバーを並べて乗せた。学生時代に優等生で神童と呼ばれた生徒が大人になって、堕落した生活を送っているなんてよく聞く話だ。その棚はちゃんとそれを現すモニュメントとして機能している。人格や将来を形成する学生時代という器もとい棚へ収められる現在の姿は、盗んできたシェーバー(笑)しかもそのシェーバーは、何世代か昔の壊れた代物というオチ付きだ。こうやって自虐的にしか今の私を捉えることが出来ないのが1番の問題なんだろうな。そんな棚を見つめながら、「なんだ、頑張って真面目に生きなくたって良かったんじゃないか」と「頑張りすぎ」と言われた私はポツリと心の中で呟いた。あの頃勉強ばっかりせずに、友達と遊んだり趣味を見つけたり、そんなことをしても良かったんじゃないか。だって結局何にも残ってない。地元に今でも会える友達は1人もいなくて、あんなに頑張ってた勉強の内容も、記憶力の低下によってどんどん私から離れていく。最近CMで聞いた「楽市楽座」なんて、どんな条例かもう全然分からない。現役時代は確実に正解できる問題として提示されたものであったはずなのに。私を置き去りにして、記憶は私からすり落ちていって、新しいものを入れようともせず、不可逆な時間の流れを過去の方を向いて睨みつけているだけ。夢から覚めて調べた人民主義だって、解放を目指しながらも頓挫して結局はテロに帰結してしまった。お告げのようで怖い。来るべきその日、大きな黒いサングラスをかけた恋人は、冬の朝に雪が振りしきる空の下、金髪マダムのパートナーを連れて飛行機で飛び立ってしまった。「Merry Christmas Mr.Lawrence」別れの言葉だ。

傀儡

0.呼吸

 凪のお暇という漫画の1話目で、主人公凪が過呼吸になり「空気は読むものじゃなくて吸って吐くものだ」と悟るシーンがある。本当にその通りだと思った。

今まで空気が吸えなくなる瞬間っていうのは度々起こって、初めて経験したのは中学生の頃だったと思う。それから大学1回生の時に再発し、職場は毎年転職を繰り返して、昨年職場での発作で退職、今はパニック障害鬱病の併発で治療をしている。きっともっと前から分かっていた。周りの人も、たぶんきっと知っていた。もっと早くちゃんと病気だと言ってくれたら、この生きづらさの原因も名前が付いて私は割り切れて生きていけたんじゃないかと思う。自傷行為を繰り返す人間が、笑いながら泣きながら過呼吸になる人間が、普通じゃないって、どうして誰も気づいてくれなかったの。どうして「大丈夫だよね」「いつものように笑顔のしほちゃんに戻って」って言ったの?誰も私を病院に連れて行ってはくれなかった。誰もが私を私で在るように仕向けた。

私の人生なんだったんだろう。私はこれからどうやって生きたらいいんだろう。薬を飲んでも病名が付いても何も変わらない。生きれば生きるほど辛い。今まで生きてて良かったと思えることなんて何もなくって、あの時死んどけば良かったという負の感情がグルグル私にまとわりつく。生きるのが下手くそすぎて、私がした決断や判断は全て私を苦しめて、どんどん人生がハードモードになっていく。落ちていくのがちゃんと理解できて、それもまた苦しい。早くお金を貯めてスイスで安楽死したい。

 

1. 他者評価

   今のバイト先に「私基本的に病まないんで!」と笑顔でのたまう女子大生が在籍している。真偽は別として、その気の強そうな性格の彼女からは「病まない」という性質は確かに垣間見える。私が彼女と同じ歳の頃、母親を拒絶し、人の信頼を損ない、絶縁していた父親と久しぶりに会って閉じ込めたはずの記憶がフラッシュバックし、基本的に病んでいた。ただ彼女と私は別物としても、私も学生時代のバイト先では同じように「基本的に病まないんで!」と言っていたように思う。普通でありたかったから。その女学生のことは心底どうでもよくて、たぶん私はもう誰かのことをあまり信用していないし、特段仲良くしたいとも思わない。私は産まれた時からずっと誰かに裏切られた記憶しかなくて、そんな私も誰かを裏切った記憶を持って生きている。私がいい子じゃなくなったら、みんな私から離れていった。親すらも私から離れていった。見捨てられたと当時は思った。でも結果だけを見ると、私が至らなかったせいだ。努力が足りず、自制が足りず、ただ目の前の簡単に手の届きそうな誘惑に負けてきたのだ。ずっと誰かのせいにしたかったけど、たぶん全ての元凶は自分で、私が悪いし、本当に生きてる意味なんてないと思う。誰かに愛されたいという一心でずっとずっと生きてきた。自分の愛し方を分からない私に、そんな日は来ないと思う。

 

2.いきづまり

 自己肯定感が低いのに他者評価を気にしすぎて、常に100点でないと自分が価値のない人間のように思われて仕方がない。全員に好かれるような人間なんていないと分かってはいるけれど「何をしてでも皆に認められないと」という意識がどこかで私を責め立てるから、ちょっとした空気感のズレや気持ちの汲み取りの違和感で精神が疲労してしまう。ただの八方美人なんだと思うけれど。

 小学生の頃から成績表の結果は人一倍気にしていたと思う。理由は一つ、親からの自分への評価が変わるから。成績の○が良いに1つでも多くあれば何も変わらないし、良いの○が減れば幻滅した顔をされる。私はそれがたぶんずっと怖かった。人より成績は良い方だったし、いわゆる優等生として生きてきた。優等生として連想されるものはいつだって親からの期待で成し遂げてきたと思う。私が優等生の道化であることが、機能不全家族にもたらす唯一の潤滑油だと信じていたから。

私はずっとずっと死にたかった。小学生の頃から綴りつづけた日記はノート何冊分もあって、それは暗く惨めな私のヒストリーを物語っている。ノートに書くことを辞めたのは大学生になってから。1回生の時家に転がり込んで居座り続けた害悪に見られるのが嫌だったから。分かったフリして傷口を抉ってくる無神経さは、田舎から出てきた世間知らずの私を苦しめ、それは1年間続いた。その頃私は文書を書くことが出来なかった。知られてしまうことの恐怖と、理解したフリをされる嫌悪感の上書きをするように、害悪が消えた後、私はネットへ通じるこの媒体に文書を綴り始めた。誰に見られてもいいようにTwitterにリンクを貼り付けた。私は誰も信じていないし、周りの人は自分が思う程私を理解するために、これを読むわけではないと知っているから。この頃には倫理観は既にもうバグっていて、自分の気持ちを閉じ込め過ぎたせいで、人の気持ちが分からなくなっていた。きっと色んな人を傷つけたし、今も何が普通なのか分からず傷つけているのだと思う。理解できない、信じられない、ヤバいは確かにその通りで、私はそういう人間だったのだと知る。何十年と文書を日記の如くツラツラと書き続けても、私から産み出される言葉は全て暗く惨めなものだった。救いはない。

 

3. 遺品整理

   誰かにこんな話をすると「生きていればいいことあるよ」とか「これから今での分、幸せになればいい」とか昔はよく言われたけれど、あれから何年経っても私はずっと死にたい気持ちが消えない。過去には戻れないと知ってしまった私には、もう何も残っていない。幸せはきっと自分が感じ取るもので、他者から与えられるものではないのだと思う。私の根底にある絶望や喪失感、罪悪感等々が、匂いや音・感触になって現れて「だったら、どうしてあの頃もっと受け取ることが出来なかったのだろう」と、自分が壊してきた日々を思い出させる。

ふと思い返すと、今の私と同じ病気を持った母親と2人で暮らしていた頃、私は母親を元気づけようと「生きていればいいことあるよ」とか「これから今での分、2人で幸せになろうよ」とそんな無責任な言葉を投げかけていた。弱っている受け取り手にとって、何気ない言葉の投げかけはデッドボールになる。私は母親の期待を重く感じていた節はあるけれど、母親を縛り付けていたのは私自身だったのではないかと最近よく思う。だから、母親は私以外の人へ寄りかかることを決めたのだ。見捨てられたと思っていたのは、私からの解放だったのではないか。なぜなら、母親がずっと私のために生きてくれていたことを知っているから。だから、私は母親をこれ以上不幸にしない為に死なないで生きている。

 

過去

0. 頭

思い出は全て過去形で、過ぎ去ったすべてが文字通り過去形だ。過去の中にこそ私の全てがあるのに、それを引きずり囚われてしまうことは賞賛されることではない。現在進行形の言葉に真実など無くて、すべては結果からしか物事を捉えることなどできない。今感じた気持ちも温度も言葉もぜんぶ、空気に触れた瞬間に酸化が始まり、過去になる。薄れてゆく記憶と更新されていく日常。この数年の間に取り出して眺めたい記憶などなくて、ずっと私はあの頃から動けないままなのかもしれない。「幸せな今」を言葉にするのは簡単でも、「幸せにしてあげたかったあの頃」を見殺しにしてまで浸ることが出来るほど私は私を許すことができない。

何もかもがフィルター1枚かかったように、ぼやけている。いつからかは覚えていない。そのフィルターを剥がせば、私も向こう側にいけるのだろうか。もう一度会いたい人や、やり直したいことを取り戻すことができるのだろうか。ふとした瞬間に壊れる精神を抱えて、普通を演じて息をする。狂人のままでいられた方が、私にとっては楽だったかもしれない。「普通の今」を手に入れた私が「普通になりたかったあの頃」を何度も何度も繰り返して思い出して、風化しないように何度も何度も思い出して、大切にしているのだ。滑稽な話だと思う。

 

1.傷の砂上

あの頃私を私で在ると証明してくれた、過去の思い出や傷跡は、社会に出て年齢を重ねていくごとに、割と普遍的に存在する事象の1つでしかなかった。私は特別になりたかったのだろうか?特別とまではいかなくても、日々に埋没することのない繊細な存在として扱って欲しかったのかもしれない。風化させることのないように、治ることのないように、重ねて付けた傷は何の意味も持たないのに。泣くほど私を憐れんでくれたり、抱きしめてくれた成功体験によって私は私を傷つけることでしか、相手に自分の存在価値を見出せなかったのだと思う。誰よりも不幸になりたかった。それも今の自分のままで。私がそれを実現するためにしたことは、真実の隙間に嘘を混ぜ込ませて話すこと。正確には嘘の中に僅かな真実が含まれているということ。私は私を演じるうちに、自分の周りを嘘で固めた。でもきっと、みんな気づいてたよね。だからあの頃に出会った人達とは関係が続くことがなかった。若かったといえばその通りで、でもそんなことをしなくても仲間に囲まれて楽しく生きている人はもちろんいて、私はそのことをちゃんと知っていて、だから毎日とても苦しかった。

 

2. 26

誰からも祝われることのない誕生日を数年経験して、私はようやく自分の誕生日周辺にプレゼントや祝いの言葉が集まるまでに復帰した。不幸を取り繕ったとして、幸せになれるわけではなかったのだ。私が自分以上に人を大切にしない限り、相手も私を大切にすることはできない。小学生まではそんなことちゃんと理解出来ていたはずなのに、どこで狂ってしまったのだろうか。私は過去に戻れるとずっと信じていた。馬鹿だと思われるだろうけど、それは明日が来るのと同じ感覚で私の中にずっと居座り続けた。時間は不可逆だと言われても、私は何度もやり直せるとやり直せるんだと自分に言い聞かせた。目を塞ぎたくなる挫折や裏切りで、自己防衛本能から生まれたその気持ちは、私に今を生きることを許そうとはしなかった。今に埋没して生きていくなら、日常を受け入れてしまっては、今まで抗い続けた結果失った全てが自分をきっと許さないだろうと。今までの自分を否定することになると。でも過去になんて戻れなかった。何度寝ても来るのは明日ばかりで、意識をぼやけさせて日常をスクリーン上で見ているかのような他人事に据え変えたとしても、私は今の私を生きるしかない。

 

3. 鏡

「ずっとここにいたかった」と昔の私が私を見て言う。私は彼女を何度も殺した。多重人格なんてものではないけど、私は何人かの私を自分の中に住まわせている。それはきっと他の人も同じだと思う。私が人と違うのは、その別の私を時々取り出して対話をすることだ。必要なものは鏡だけ。鏡を通して見る私の目の奥に私を見る私がいる。肉眼では見えないけど、その目の奥にもきっと私を見る私がいる。鏡を見ているのか、見られているのかどちらか分からない。封じ込めてきた私自身がミルフィーユ状に積み重なって幾人かの私になっている。早く今の私もリセットして、鏡の向かう側へ連れて行ってほしい。

私は間違ったのだ。はっきりとそう自覚できる。

summer end

1.

体の節々に痛みを感じる。そこあるのは生への息苦しさ。面白いことなんて一切言えない私は、誰かの言葉をなぞってそれを発話していく。嘘で円滑に上手くいくことばっかりで、本当の話なんてこの世界では全く必要とされない。台本があって、それを話せば終わるようなそんな世界なら私は私自身に責任を持つことなんてしなくて済むのにな。上手くいかないこともある。それがストレスになる。そしてそのストレスを日々に落とし込んで、ただ続いていく毎日で他の対象に意識をしなければ人間は保たなくなってしまう。全てを塗り潰す。嫌いな出来事を反対の出来事の色で塗り潰す。そうやって生きていく。何も思い出さないように。自分を守るために。文字に出来ることだけが私にとって真実の言葉。この世界のスピードはあまりにも早くて、話す言葉は流されていくなら、それはもう私のものではない。嘘でいい。

 

2.

完璧とは脆さと隣り合わせ。綺麗なものほど、ひびが入れば一瞬で崩れ落ちる。もう子供じゃない。綺麗なままではいられない。汚れてしまったことに後悔なんてない。使い続けると朽ちていくのは人間も同じ。早く私は私を消費して消えて落ちてしまいたい。昔より落ち込む頻度が減っていって、それは即ち私と世界とのスピードが調和していっているということ。立ち止まっていても、自分のペースで歩き出すことを許さない世界に、私は自分の我儘を辞めた。私は意外に上手くやれてるんじゃないか、と自分を慰める。皮肉なもんで、それは社会に迎合することを足掻いていた私を否定する行為。それならもっと早く分かっていたなら、と思わずにはいられない。今の不幸は全て自分の行いで決まる。何かを認めるたびに、それをしなかった自分を否定する。誰もがすんなりと社会に迎合できるわけではない。それを子供の我儘だと言うだろうか。抗うものを世界は否定する。私はその世界に合わせたフリをしながら、ちゃんと俯瞰して世界を否定できるだろうか。

日々から解き放たれて1人になると、いつも考えてしまう。これが私の本当の意識なのだろうか。図書室で読みたい本を選ぶような純粋な世界への興味は、今の私にとっては不安しかない。与えられたものを摂取する方が、そこに対人関係が生まれ認められると思ってしまうんだろう。回避能力だけが人一倍傲慢に育ってしまった。私は私の奥を知っている。どこまで落ち込んで、落ち続けしまうのか、そして這い上がり同じ明日を迎える為に、どれだけの時間と余力が必要なのか。茶番のような鬱になっては、明日ケロッとした顔で日々に接する。

人を人だと思ってはいけない職種で、私は横たわる物体を日々眺める。嘘と笑顔で塗り固められた空間に身を寄せる。人間の7割は水で、私はその水袋達に手を施す。ぷかぷかと揺れるそれらに合わせて、私は笑いながら嘘を吐く。我にかえるといけないから、出来るだけ物体として接し感情は持たない。顔なんて覚えていない。他人の話に共感するフリをして、頭ではぜんぜん違うことを考えている。人の話を聞くのが苦手な私にとって、手や体を動かしながら話を聞く作業は意識が分散されて勝手が良い。いつかこの物体はここに来なくなる。それは人間関係を一定期間でリセットしてしまう私にとって都合が良い。私にぴったりの職業だと思う。

 

3.

今年に入って「自分は出会った人がどんな人柄で性格をしているのか見透かすことができる」と言ってきた人間が2人もいた。出会って数週間の私へ、そんな事を言ってくる彼等のその言葉に彼等自身の弱点があるように思えてならなかった。神様のような事を言うんだな、と甚だ滑稽に感じたが、私は持ち前の笑顔で「すごいですねー!!」と褒め称えた。そして家に帰って彼氏と馬鹿にした。彼等は私が家に帰ってから馬鹿にすることを見透かして、その話をしたのだろうか。そうだとしたらかなりのドMだと思う。私は自分にとってどうでもいい人を決して否定しない。同調して笑顔で対応する。どうでもいいので、話をほぼ聞いていない。否定したり意見を言うのは、それなりに頭を使うし疲れる。それは大切な人の為にとっておきたい。私にとって大切な人は数人いればいい。私がどんな人間なのか見極めて、そこで彼等が私に対する認識を終わればそれはそれでいい。もう認知しないでくれ。私も彼等をそういう人だと認識するから。もう関係がそれ以上になることもない。

彼等が私に下した判決は、占いのそれのようなもので至極当たり障りのない普遍的な人物像だった。誰しもがそういうは麒麟は持っているだろうし、把握できてるとも思えなかった。私はそれに対してやはり「合ってますー!すごい!見透かされてるみたい!」と笑顔で対し、満足そうな相手の表情を吐き気を堪えながら頭で中で塗り潰した。人間はレッテルを貼られたり、押し付けられたりすることを嫌うということを、自分とは違う何かに変わりたいと願う気持ちがある人もいるということを、その気持ちを踏み躙る行為をしていることを、彼等はきっと見透かすことができない。

 

4.

どうせ周りの人間のパペットとして、話のネタにされるのだ。「あいつは、こうでこういう人生を歩んだからこうゆう人間だ」とかあーだこーだ言われる。そうやって誰かを枠に落とし込まなければ安心できない人間もいる。そういう話をするのが好きな人間もいる。どうせパペットになるなら、私も少し楽しませて欲しい。だから、私はここに来る時すべてを嘘で塗り固めた。嘘の家庭、嘘の体験、嘘の動機。私の嘘を弄んでよ。嘘だと気づかない哀れな皆さん、どうか私の嘘を本当にして欲しい。こんな人生だったらと願う私の気持ちを、過去を、私という人間で取り扱って欲しい。真実を知ったとき、見透かせたと満足そうな顔をするのか、私に見せて欲しい。

壊れ物

0. 夢

 夢を見た。高校と大学の知り合いが入り混じった同窓会の夢。先生に再会する。高校2年生の時の担任だ。同窓会では沢山の人が来ていて、酒を飲んだりつまみを取りながら馬鹿騒ぎをしていた。その会場は大きな宴会場のようで、私は居場所も話せる知り合いもいなくて、入り口の障子の前から動けずに、突っ立ったまま中の様子を伺っていた。宴会場はオレンジの室内灯に照らされてぼんやりと明るかった。私の立っている廊下は薄暗くて、まるで映画館で映画を観ているような気持ちだった。担任がふらりとその会場から出てきて、私の横をすり抜けて隣にある宴会場より一回り小さい会場へと入っていく。今いた場所よりグレード落ちしたような小規模な会場だ。私は少し間を置いて、彼に着いて、その部屋へと入った。彼は部屋の奥の窓際で煙草を吸っていた。私は無言で彼の隣に座って煙草を咥える。彼も無言のまま窓を開けて、2人で煙草を吸う。窓の下では、泥酔した男女が馬鹿みたいに笑いながらはしゃいでいた。その様子を2人で言葉もなく眺めていた。煙草の煙をゆっくりと吐き出して、彼は窓下を見たまま「俺がどんな気持ちで卒業アルバムにあのメッセージを書いたのか、お前には分からないだろうな」と言った。私は自分の卒業アルバムに書かれた担任のメッセージを思い出すフリをする。確かによく分からない詩のようなメッセージだったと納得する。でも現実の私は高校の卒業アルバムの寄せ書きをする日に学校には行かなかった。卒業式の前日に行われる毎年恒例のイベントのようなそれに、私は行けなかった。夢から覚めて、私は納得したはずの彼からのメッセージを全く思い出せずにいた。そもそもそんなメッセージなど無かったのだから思い出せるはずなどないのだけれど。

 

1. 光

 匂いには記憶が付随するとよく聞くが、それはどうしてなのだろう。嗅覚を記録する媒体が、自身にしか無いからなのだろうか。私が1番最初に暮らしていた家は、田舎を絵に書いたような場所で、周りは田んぼに囲まれていて町内にコンビニやスーパーは無かった。聞こえてくるのは、風の音や隣家の子供の声ぐらいで、他にはたまに通る車やバイクの音くらいだった。私は自分の部屋から、何もないおかげで遠くまで見通せる景色をずっと眺めていた。そんな静かな場所では、光にすら音を感じれるような気がした。サラサラしてたりキラキラしてたり、それが音なのか何なのか分からなかったけれど、手に取ろうとしてもすり抜けてしまうそれに、私はずっと耳を澄ませていた。あれも匂いを発するのだろうか。ときどきふとした瞬間に、あのサラサラやキラキラが私の前をスッと過ぎ去ることがある。今住んでいる場所では、一歩外に出ると本当に多種多様な音が私の周りを支配している。私はまだこれに慣れずにいる。思い出したように通り過ぎる光の音だけが、私を今ここに繋ぎ止めているように思う。ぼんやりと、もうここはダメかもしれないと気づき始めた。この場所が悪いわけじゃない。関係してきた物事が悪いわけじゃない。私自身が、ここで失ったものや間違ったことの精算を終えたら、私は帰ろうと思う。思い出をくれてありがとう。でも、もう疲れた。

 

2.かくれんぼ

 私が鬼だ。目を閉じて「もういいかい?」と大きな声で叫ぶ。「まーだだよ」と何処からか誰かが返事をする。閉じた視界は真っ暗で、顔を覆った手を開いた瞬間に立ち現れる世界のことをずっと心待ちにしている。いつもこの時間に心は緊張と期待と興奮を感じていた。あの頃も同じで、知らない場所や環境に不安を抱きながらも、閉ざされた世界から放たれることをただ願っていた。「まだだ」と言う声は、これから出会うだろう環境や感情や人間で、在るはずのそれらを見つけるために私はじっと目を閉じて耳を澄ませていた。実際に見える世界なんて、目を閉じる数分前に見ていた世界と同じもので、何も変わることなんてないのにね。それでも「まだだ」という声がするたびに、私は目を閉じて期待する。でも何かを擦り減らしていくうちに、その声は「まだ頑張れる」「まだ何かある」と耳元で囁く自分の声へと変わっていった。「もういい?もういい?」と顔を覆った手から涙が溢れ落ちていく。「まーだだよ」と声がする。待つことにも期待することにも疲れた私は、そっと手を下ろして辺りを見渡す。誰もそこにはいなくて、変わらない景色が当たり前のように在り続けるだけ。私は一体なにがしたかったんだろう?幼少期の頃に一緒にかくれんぼしていた友達の顔も今ではもう思い出せない。

 

3. 螺旋の上で眠る

 記憶とは螺旋だ。グルグル渦巻いていて、行ったり来たりしてるうちに、どちらが向かうべき場所なのか、来たはずの場所だったのか分からなくなる。どこまで続いているのかも分からず、目眩のするような光景に辟易して立ち止まろうとも、上にも下にも同じ螺旋が渦巻いている。

 

 

 

 

 

 

She wants to see

0. -

 クラシック調の音が流れ出して目が覚める。初期設定のままのアラーム音は、よく想起されるうる不快でけたたましい音ではなく、豊かな暮らしを想定されたかのような優しい音色だった。年明けに新調した最新機種の携帯は、とにかく音が綺麗で、さすがだな、と毎朝感じながら布団からゆっくりと這い出す。

 クラシック調の音色をBGMだとするなら、俯瞰して見られる私の寝起きの姿は、春になって土からもぞもぞと姿を現す虫のようだと思う。

 虫のように生きている。もぞもぞと毎日同じ電車に揺られて、もぞもぞと仕事をして、もぞもぞと食事を摂り、もぞもぞとまた布団の中に戻っていく。そこに感情はない。在るのは与えられた日々だけで、命つきるまで、自分が何者であるのか、何の為に生きているのか気がつくことはできないのだろう。

 空の容器を外側から見るふりをして、その中に実は自分自身が閉じ込められていることを理解できない。自分を透明にしてしまった方が、この世界は生きやすい。何かあるはずだと、じっと目を凝らしても、何かあっては困るのだ。透明なまま、「在る•無い」を考えないまま、もぞもぞと今日を消費していく。

 

1. △

 過去のことをよく覚えている。つい最近のように、その時感じた気持ちを簡単に文字に起こすことができる。そう思っていたが、実際は忘れてしまわなければいけないことは、ちゃんと封じ込められていて、それを思い出すときには、客観視していたはずの感情が気持ち悪いほど自分の側に擦り寄ってくる。

 昨日の夜、物を落とした。無くしものをしたわけではない。お風呂から上がった私は、化粧水を仕舞おうとして、その棚に置いてあったマニュキュアやら化粧品やらを一式、床にバラバラと落としてしまった。手が滑ってそうなった。そのとき、一つの感情が思い起こされて、それから今日の今までずっとそれを引きづり続けている。

 大学に入学して間もなくの頃、私はよく物を投げていた。正確に言うと、窓やベッドに向かって目につくものを、手当たり次第に投げつけていた。壊れてしまったものもいくつかある。記憶にあるのは2つ。一つはティファール。実家から譲り受けて持ってきたもので、部屋の壁に投げつけたら凹んでしまった。それ以来、お湯を沸かすことはできなくなった。もう一つは、カエルの絵がプリントされた深皿。これも実家から貰ってきたものだった。母と二人暮らしを始めた頃、ある日買い物先で見かけたそのカエルの皿に一目惚れをした。母はカエルが好きだった。質素な暮らしをせざるを得なかった私達だが、二人ともそのカエルの皿から目が離せなくなり「連れて帰ろう!」と言って、2枚のお揃いの皿を購入した。それから決まって、私達の食卓にはカエルの皿が同席していた。その一枚を持ってきたのだ。あの日々の暮らしを忘れないように。

 どうしようもない日だった。どうしようもなくて、部屋の中はぐちゃぐちゃで、意識も朦朧としていた。私は台所で蹲り泣いていた。ふと顔を上げると食器棚で笑っているカエルと目があった。私はゆらりと立ち上がって、そのカエルの皿を手に持ち高く振り落として真っ直ぐ叩きつけた。皿は私の足の上に落下して、粉々に砕けた。足の甲には激痛が走り、その感覚とともに、自分が何を壊したのか理解した。その日から私は何も投げてない。

 バラバラと音を立てて足元に散らばる、マニュキュアやら化粧水の瓶やらの音で私は思い出した。全て投げつけてしまいたい衝動に駆られた。私は結局私でしかいられないことに気づかないふりをしていただけ。私の手は真っ直ぐに、まだそこに残っている化粧道具の棚の上へと伸びていった。リセットするには一度すべてを壊すのが手っ取り早いから。

 

2. □

 理由のない絶望。私を縛るのはいつも私自身。いい子でいること、望まれたように振る舞うこと、自分を押し殺すこと。私はいつかの私に戻ろうと思った。他人の思い通りに動くことで、人は自分自身を消費させ、そして失っていく。舞台が幕を下ろすように、ぷつりと私は途切れていく。日々が連続的なものではなくて、断片的なものの積み重ねとなっていく。感情はすでに私のものかも疑わしい。そうやって、いつか私は私ではなくなって、知らぬままに殺されていく。私は私の知らないうちに死にたい。さっさと連れていってくれよ。

 にっこり笑ったカエルの顔が忘れられない。今まさに壊されようとするのに、笑い続けて馬鹿みたいだ。プリントされた皿から動けないままでいる。すべては他者の手に委ねられていて、自我のかけらも持ち合わせてない。私が皿を叩きつけたことを知ったら母はどんな顔をするだろうか。臆病な弱さは人を傷つけるだけだろう。せめて親孝行くらいしてから死にたかったな。「私がもしまた産まれてきたら、今度はもっと賢くていい子が産まれますように」そう綴った10年前の日記と同じことを、今も抱えて生きている。

 私は代役でしかなかった。腐敗してバラバラに崩れ落ちそうな家庭を、道化を演じることで繋ぎ止めようとした幼少期。離婚して、母と二人暮らしになって、隙間を埋めようと望まれるままに演じた10代。私は私の役割を終えてしまった。今、私は何の為に生きているか分からない。誰も私に望まないもの。あのとき以上に繋ぎ止めたい何かがないもの。私は代役でしかなかった。

 

3. ○

 10年前に耳にしてからずっと探していた曲があった。当時はインターネットも今ほど普及しておらず、SNSなんて言葉は誰も口にすることも耳にすることもない時代だった。当然携帯電話も皆が平等に持っているはずもなく、それは大人が使うもの(恵まれた子供が持つもの)だと思っていた。その頃中学生だった私は、父のいない合間を狙ってPCでひたすらその曲を探し続けた。YouTubeはあったので、似たような曲の関連動画や、辛うじて覚えている歌詞を検索欄に打ち込んでは、その曲がヒットするまで何度も繰り返していた。曲名も歌手名も覚えていなかったので、正に手探りの作業だ。かかること3年。私はその曲を見つけた。3年間をかけてずっと探していたわけではなかったが、それは心の何処かで待ち続けていたことだった。こんなにも時間がかかると、偶像崇拝のごとく神聖化され、出会いの瞬間に何かが違うという感覚に襲われるようなこともあるだろう。だけど私は、はっきりと「これだ」と思った。朧げな記憶が光を取り戻したように、ちゃんと輪郭を持って浮かび上がってくるあの瞬間を、私はずっと探していたんだと思う。今でも思い出した頃にその曲を聞く。曲名も歌手名も覚えているので1秒で見つけ出せる。両耳に刺さった2本のコードは、ドクドクと音を私の体に流し込み、そこに確かにある音を私に示してくれる。

 

 

 

切手のないラブレター

0. 陰影

枯れた花束を抱えていても綺麗だと思った。むしろ退廃的な雰囲気が良く似合う人だった。真っ直ぐで長い黒髪と真っ白な肌。大きな目と高い鼻。真っ黒でフリルのたくさんついたワンピースと同じく真っ黒でリボンのついた高いヒールのブーツ。すべてがあの頃の私には無いもので遠く遠く憧れた。世界で一番好きだった女の子。私は彼女になりたかった。誰かの人生をなぞるような生き方なんて本当の幸せではないのかもしれない。何が幸せなのか、どんなものが普通なのか分からない。生きることに絶望を重ねて、それでも生きるしかなかった私は、自分を彼女に委ねることで一種の安心を得ていた。だけど消えてしまった。液晶越しになぞる輪郭を私はもう思い出せない。

 

1. 箱庭ゲーム

 毎年、今年でお終いにしようと考える。外を歩くと5分置きごとに襲いかかってくる絶望の正体が何なのか分からなくて、立っていることが難しくなる。年々その感覚が短くなってきているのことに、私はちゃんと気が付いていて、いつか自分が狂気に陥ってしまうのではないかと不安に感じる。明日死のう、明日死のうと思いながら正気を保っていることはとても苦しい。誰かのフリをしたり、演じてみたりと色々試して、この人生を私なりに工夫して乗りこなそうとしてみた。それでもこの絶望は「自分は自分でしかない」としっかりと現実を連れてくる。

 私は私でないときが度々ある。その時の記憶は曖昧で、ときどき目の前の他者が誰なのか分からなくなる。どんなに月日を積み立てた相手だとしても、それは私との思い出なのか記憶の双子が産み出した嘘なのか分からない。嫌なことがあると全て無かったことにしてしまう。セーブでもコンティニューでもなくリセットボタンを押す。私にはそれが出来る。幼い頃の自己防衛によって編み出された忘却能力は、確かに抱えきれなかった苦しみからあの頃の私を救っていたのだろう。だけれど殺人を犯した者が2人目からは容易に人を殺せるようになるという通説のように、私はそれを簡単に実行しすぎてしまったのだと思う。自己統一性が全くなくて、意図せず消えていく「その時はあったはずの感情」が、全く見知らぬ誰かの物のように感じずにはいられない。意図せず消えてはいくけれども、自己が消える瞬間に気付くことは時々ある。どういう条件でそれに立ち会えるのかは知らない。消えていくことを止めたいと思う意思が私には無いので、ただ遠くから自分を虚しく観察するだけ。

 

2. 欠陥

 私の職場は2階建の一軒家で、去年の6月に建てられたばかりだ。新築のそれが出来上がる頃に、私は中途採用で入職した。まだ半年程しか経っていないけれど、職場の建物の欠陥とそこで働く人間の性質とは関連性があるのではないかと感じる。目に見えた結果に(まだ在職中の身としては気が滅入るので)考察なんてしないけれども。欠陥建物はそこに入る時点から苦難を強いている。まず門の鍵が回らない。鍵穴に鍵を差し込んで少し上に鍵を持ち上げるか、反対方向に回してからもう一度正しい方向に回すことで開く。閉めるときもまた然りだ。鍵穴と鍵がマッチしていないのだろう。社員用の勝手口は門のある正面から見て建物の裏側にあるので、門から入って建物の横を180度回って中に入ることになる。門を抜けてもまだ試練は残っている。晴れた日は何も問題はない。ただ雨の日は厄介だ。裏側へと通じる建物と隣接する家の壁の間が狭いのでそこを抜けて勝手口へ回るには傘を折り畳むか、すぼめないと通れない。そこには屋根がないので傘を畳むと雨に濡れるし、すぼめるとすぼめた傘から滴る水でまた濡れる。大体はすぼめた状態でそこを通り抜け裏側の入り口の鍵を開ける。(セキュリティーの為か鍵穴が2つもあって、どちらも回さないと開かない。もっと配慮することがあるだろうと思うが。)一応玄関であるはずのここにも、やはり屋根はない。大概出入りの際にはPCや書類を持っているので、それらを守りながら、傘を効果的に持って鍵を開ける余裕はない。傘は一旦畳むか、畳んだ状態で下に置くかしかない。(勿論この玄関前も狭いので広げたまま下に置くことはできない。)結果的に濡れながら2つの鍵穴を回すことになる。こうして雨の日は通路と玄関で2回殺されることになる。出入りの激しい職場なので、この戦いは1日に2回どころでは済まない。もし雨が赤色だったら、私は退勤する頃には頭から足先まで血塗れになってるはずなので、このストレスが可視化することが出来るのではないかと思う。そうやって毎日は続いていくんだ。

 

3.  ゆらめき

 毎日がバンジージャンプだ。朝起きて私は自分がバンジージャンプ台に立たされていることを思い出す。命づなを腰に巻いて、高い高い台から下を見下ろす。見下ろした景色に意味はない。それらは私を取り巻く全てであるし、私が拒絶したい全てである。飛び降りなければならないのだ。足下の道はそこで途絶えているし、戻る場所も蹲るスペースもない。何故なら後ろには沢山の人が。人、人、人。私が関係してきた色んな人が、私が飛び降りるのを今か今かと見ている。私は目を強く瞑って心を無にする。何かが始まる時はいつでも無だ。無の世界で私は心と切り離されて、体だけが真っ逆さまに下へ下へと急加速で落ちていく。それは一瞬の事で何かを考える余裕もない。気づけば私は命づなに繋がれたまま、ゆらりゆらりと揺れている。頭上から台の上に居る人達が満足そうにこちらを見下ろしている。社会に迎合するとはこんな感覚なのか。ゆらゆら揺れ続ける体を意識しながら、やはり心は無のままで、気付けば1日が終わっている。いつかこっそり腰に巻かれた命づなを外して飛び降りる日が来るのかもしれない。その時始めて心に感情が戻ってくるのだろうか。頭上の人たちはどんな顔をするだろうか。きっと私は笑っていると思う。